世界を歩く(3) ドイツ・東欧
海外旅行記第3回である。
私の職歴だとか技術の事業化への考えだとかを書くと正直疲れるのだが、というか、推敲に時間がかかるのでそれなりの負荷がかかるのだが、海外旅行記は推敲がほとんど要らないので疲れにくい。「元リケジョのブログ」としてはズレている気がするが、リケジョも人間だし多種多様なタイプがいるので、割烹着を着てムーミンと実験大好きって言ってるワーカホリックばかりではないということを示していくことにも、文化人類学的に意義があるかもしれない。ライトな記事はこういう、書いていくうちにオチが迷走したような文章をそのまま放言できるので楽である。
海外旅行第03回「ドイツ・東欧」
前回2004年の「イタリア・スペイン」は学部の卒業旅行で、今回2006年の「ドイツ・東欧」は大学院(修士)の卒業旅行である。あまり贅沢ができない立場の人からすると「なに2回も卒業旅行行ってんだよ」だろうが、私はユースホステルに泊まれない程度には貧乏に慣れていないので、「修士課程の間に海外旅行行かなかったのか」という感想が先立った。学生は、金はなくても時間はあるのだから海外に行っておけというのは本当だなぁと思う。学生の私は「学生だから金がない」のではなく、「研究をしなくてはならないので時間がない」と考えていたのだと思うが、若者の「忙しい」はだいたい錯覚である。おそらく60代以上で国家を動かしてるような人たちから見れば今の私の「時間がない」も錯覚だろうから、大いにグダグダしたいところである。
03-1. ?????
「?????」は誤植ではない。「2006年ドイツetc」フォルダの1枚目はこれである。前回のあれ(ローマの電車の座席)に比べて風景である分評価できるが、相変わらず空港と飛行機を撮らないのでどこか分からない。自身の動向からして、空港から都市に向かう電車の中だと思う。問題なのは前回の旅程はシンプルでわかりやすくそのため「最初に降り立ったのはローマ」と記憶もはっきりしていたのだが、今回は複雑でわかりにくいのでどこにINしてどこからOUTしたかすら記憶していない。つまりこの街がどこか分からない。この郊外の住宅と寒々しい空に、なにかしら異国情緒を感じて撮ったのだと思われる。
少し時間を置いてこの写真が出現する。ここでやっと1都市目がブダペスト(ハンガリー)だとわかる。利き酒ならぬ利き都市である。
前回に比べ2年歳をとって思春期特有のひねくれがなくなったのか、あるいは人類がデジタルカメラで写真を撮ることに慣れてきたのか、いい風景を撮るというシンプルな気概が感じられる。私は夕暮れが好きなので、そのせいかもしれない。暗い時間なのによく撮れているなと思うが、経験上、実際より明るいか暗いか、青みか赤みが強すぎるなど、うまく撮れないなぁと、写真撮影の腕のなさに臍を噬んでいたはずである。しかし、なんにせよ夕暮れは良いものである。
03-2. チェコ共和国・プラハ
私の利き都市の腕ではブダペストとプラハの境目がわからなかったのだが、写真リストはいつの間にかプラハに入っていた。
これは浦沢直樹「MONSTER」で、チェコで三匹のカエルがどうのこうのという下りがあるので、こ、これは!プラハの!三匹のカエルじゃ〜〜〜!と思って撮ったもの。ところで浦沢直樹のカエルは「看板」なので、feat.浦沢直樹なら「看板」を出してくるはずである。しかしこのカエルは「ガラス細工」である。とするとこのカエルはなんなんだ?チェコ的に三匹のカエルって何かあるの?と思ったので調べてみたが、
・「MONSTER」の三匹のカエルは架空の橋の近くとされているが、この架空の橋は実在の「カレル橋」がモデルだと思われること
・「カレル橋」の近くには三匹のカエルならぬ三匹のダチョウの看板が実在すること
これしかわからなかった。他人のことを言えた立場ではないし「三匹のカエル」でググったのが悪いのだろうが、「MONSTER」起点じゃない情報がなくてびっくりである。さらには個人のブログばかりで正式な情報がなかった。結局、浦沢直樹とは関係なさそうな「三匹のカエル(ガラス)」が実際にプラハにいた理由は謎である。
カエルのガラス細工は度々見かけるので、ヨーロッパ人がカエルのガラス細工が好きで、三匹のダチョウ看板の情報から推察するに、チェコ人は動物を三匹並べるのが好き、とかそんな話なんじゃなかろうか。一応断っておくが、これは適当な個人の感想である。こうやってGoogleの検索精度が下がっていくんやな。
こちらは野生のアーティストの作品である。プラハ民、雪慣れしてるな。
03-3. チェコ共和国のどこか(多分)
この礼拝堂がどこのどういうものだったか忘れてしまったので正確ではないかもしれないが、東欧(ハンガリー、チェコ)を巡っていて感じたのは、「西欧(フランスとか)って金持ちなんだな」ということだった。礼拝堂一つとっても、西欧は全面が金色か大理石かあるいは何かしらの宗教画で埋められていたのに対し、東欧のそれは、どこか質素で体育館のような佇まいであった。
もちろん東欧も王宮は豪華だったし、西欧にも質素な礼拝堂は存在すると思うので、妥当な比較かはわからないのだが、「空気感でそう感じた」のである。
西欧が金持ちなのは世界史を学べば一目瞭然ではあるが、実物で感じるのはまた格別だった。
03-4. ドイツ連邦・ベルリン
プラハからどこかの街を経由してベルリンに入った模様。
これは未だになんなのかわからない、富士フイルム(株)の何かである。
「元」壁の「内」か「外」かでかなり街並みが異なり、モニョった。この旅行(2006年)は壁の崩壊から17年、今(2021年)は壁の崩壊から32年経っている。今でもあの街並みの落差は存在するのだろうか。
03-5. ドイツ連邦・その他
どういうイベントなのかは分からないが、ベルリンにはクマが大量に、ミュンヘンにはライオンが大量にいた。2006年と言えばサッカーW杯がドイツで開かれた年であり、開催前のこの時期は街のいろんな部分が浮かれていた。
03-6. オーストリア共和国・ウィーン
ウィーンに行ったはずなのだが、どの写真がウィーンか分からなかった.........立地的にはドイツ入りする前に行っている気がする。前回のように写真を失っているか、オペラ座あたりの内装しか撮ってなくてわけわからなくなっている可能性が高い。こういう時に建築史などを教養として持っていると強いんだけどなぁ。
所感
空港を撮る文化を持ち合わせていないせいで、記事の終わり方が難しい。コミュニケーションのオチが写真頼みになってしまうとは、デジカメ(スマホ)やSNSは人類の文化を変えたなぁと思う。
海外旅行記「世界を歩く」の過去記事はこちら。