(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

安い金額でリーンスタートアップできない業界

渋谷の「コムサカフェ」が2021228日に閉店するらしい。開店は2004年、17年前である。かつては行列ができていたような記憶だが、最近行った時は、穴場認定していいほど空いていた。もはや、スタバの席に空きがなければここという位置付けだ。だが、スタバの空きを確認するまでもなくコムサカフェに行く、というほどではなかった。というか、それならそもそも空いていない。なぜそうならないかというと、「時間が止まった」ような感じがあったのだ。ちょっとショボい感というか、場末感が漂い始めていた。綺麗なフルーツタルトの陳列は開店当時と変わってないはずなのに、「見るだけでテンション上がる」感を失っていた。つまり、映えが弱かったコムサカフェの価格帯はタルト+コーヒーで1000円弱なので、「映え」系パンケーキがドリンク付き2000円台と考えると金額差からして比較対象はそちらではないのだが、であればなぜスタバに競り負けるのか。ガチの場末喫茶店のように壁紙が剥がれているとか椅子が破れているということはなかったので、メンテはきちんと行われているはずなのだが。

そういえばコムサ系列のカフェは新宿東口にもあった。かつてこの新宿店の行列は渋谷の比でなく半端なかったが、かなり前にビルごと撤退していた。

センスをアップデートし続けるって難しいのかもしれない。

 

周期と終末

私のような重めのメーカー出身者には、10年やそこらで事業性が損なわれるほど流行やセンスが変化するという考え方がどうも受け入れがたい。とはいえメーカーのお買い物(会社とか、装置とか)を稟議にかける場合の、計画上の投資回収年限は3年や5年なので、本来は10年程度で事業が終わってしまうことは十分想定されている。ただ「終わらせてはいけない」というプレッシャーが重いので、「潮時でしょう、開業17年ならむしろ持った方です」が通用するイメージを持てないのだ。通用しないから半永久的に終わらない潜在ニーズを探し求めて新規事業ゲームの難易度を爆上げさせ、負の無限ループに入る。

私は新規事業の失敗ばかり見てきたが、それらの失敗の原因は「価格設定を間違えた」とか「競合の出方について見立てが甘かった」といった「企画の弱さ」で説明できなくもない。コムサカフェで言うなら「スタバという競合に対してポジショニングをどうのこうの」で、「高級路線にシフトしてインスタグラムヘビーユーザー層に訴求する」とかなんとかである。しかしこんなもんは後出しジャンケンで、ケーススタディよろしくたくさん要素を羅列できればなんだか賢そうに演出できるが、演出でしかなく、実行性がない。本当にお前がコムサカフェの経営責任者だったとして、2004年開業のコムサカフェのケーキ単価を上げてインスタ祭りをやるのか?大学生のレポートじゃねーんだぞ、という話である。私が見てきた失敗群全てに共通する一番の問題は、「状況が変わった時に撤退する基準が設けられていない」「だから状況の変化もモニタリングしてない」だったと思う。

サクッと初めてサクッと止めるのではなく、グググッと始めていきなり10億円とか100億円とか投じてしまい、止められない。始めるハードルも前述の通り重いので、役員の強い「想い」が乗っからないと始められない。結果的に、撤退の議論などただの事業性の話であるはずが「想い」を乗せた役員の「メンツ」の話にすり替わり、触ってはいけない話になってしまう。

 

暗殺されそうな対策案

この問題に対してこれまで私は、退職代行よろしく事業終わらせ屋が必要だと考えてきた。事業ターミネーターである。

ただ私は退職代行が務まるほどメンタルが強靭ではないので、ターミネーターも務まらない。ターミネートのプロセスを請け負うのは恨みを買って殺されそうなので、「こいつに“終わってる”と言い渡されたらジタバタしても仕方がねぇ」くらいの権力を持つのが良いのだろう。

と、うすぼんやりとした野心があったのだが、改めて文字に起こしてみると、そんな存在がいたらそれはそれでデメリットも山ほど思いつく。暗殺プロジェクトの一つや二つ立ち上がりそうなので、そもそもそんな存在になる前に潰されること必至である。

 

暗殺回避案

ならば逆に、「こいつが面白いと言ったらGOして良い」という存在になる方がいいのかもしれない。そっちなら多少のデメリットはあれど、暗殺対象にはなるまい。

この存在、広告業界などにはすでに居ると思う。その周辺の業界の切り方がよくわからないのでこの命名でいいのかわからないが、佐藤可士和とか、糸井重里とかだ。なのになぜ私の通ってきた業界にはいないのか?結局何が違うのかというと、私の通ってきた重い業界では試作→検証のサイクルが人生で数発しか打てないことではないか。学生時代、製薬業界を見て「30年を一つの薬剤研究に投じるとか絶対無理。失敗しても2周目に入れないじゃん」と思ったのだが、世界を広めに見たら今の私は完全にそっち側である。視野が狭かった。

しかし、私が居る場所がそうなっていること自体にごちゃごちゃ言っても仕方がない。では、1年に10発とか打てるようになるにはどうしたらいいのか。

 

現実からどう考えるか

軽めの業界の人には驚かれるが、重めの業界は本当にいきなり100億円動かす。リーンやらなんやらが流行ったり、モトローラGEなどのすごそうな大企業が派手に投資して派手に失敗したこと※なども手伝って、いきなり100億は避けたほうがいいという風潮は生まれている。この風潮を実業に定着させようという動きもある。が、では具体的にどうやるのかというと、ソフトウェア業界の例が出てきたりして驚くほど参考にならない。なぜ参考にならないかというと、重い業界というのは、「早期に50万円で試作品を作り顧客に使ってもらってフィードバックしましょう」を実現するのに5億円要るのだ。そうでなければ、「新規事業だけど、既存生産ラインを使う商品しか企画してはならない」という、5億円調達より難しい条件が課される。

というわけで、「早期に50万円で試作品を作り顧客に使ってもらってフィードバックしましょう」を、ソフトウェア業界の成功例に頼らず、かつ、5億円かけずに実現する方法を考える必要がある。

(※失敗談として残すのがアメリカらしいなと思う。日本では役員のメンツが重要視されるので、記録から抹消される)

 

低予算製作を成功させた例

ところでここに1冊の本がある。

マグネシウム文明論」
https://www.amazon.co.jp/dp/B00799X19W/

正直なところ題名の「文明論」はちょっと言い過ぎである。「文明論」のせいでマグネシウム化合物に着目した考古学や文化人類学かと思ってしまったが、違った。大学教授(助教授)が自身の研究テーマについて書いたもので、マグネシウム化石燃料に代わるエネルギー源になるということを説明している。これはこれで、実現すればマグネシウム化合物の考古学より面白い。ただし、工学修士持ちの私でもさらりと読んだだけでは理解できないくらい研究内容に踏み込んでいる。なので興味のある方は実際に読んでいただくとして、この中に興味深いエピソードがある。2007年に株式会社を作ったのだ。

元々は自己資金(貯金)で実験施設を作るつもりで株式会社を設立したのだが、取締役の一人が資金を集めてくると言い出した。あれよあれよと計画予算は5000万円になり、北海道やら中東やらの土地を借りることになり、装置は予算なりの高スペックを追求して1台500-2000万円となった。しかしこの取締役が資金集めを放棄したため計画が白紙になり、最終的に50万円の装置を大学の屋上に設置した、ということらしい。

このエピソードは、5億円調達を避けて50万円で試作品を作ることも、実はできる?という光明を示唆している。面白いのは同じ人物・同じ研究室が、「予算5000万円」で動いた時は5000万円なりのものを作っていたのに、「予算がほぼゼロ」になったら50万円での製作を実現したことだ。前提が思考に及ぼす影響力よ。

ただ、予算5000万円ルートの方が、経緯が映える。研究内容が期待できるものであることを示すし、金策能力まで担保されている。次世代の研究者。なんとも「映え」だ。対する50万円ルートは、投資の話がポシャった、かつ、東京から北海道の移動費などから運用費が瞬殺され、仕方なく北海道の実験場を放棄して手持ちの予算でできる範囲の物を作った、というものだ。私の命題は「どうやって1年に10発打つのか=5億円ルートを回避するか」なので、5000万円を50万円に圧縮した経緯・経験・知見・技術力全てに敬意と好奇心が働くが、映えるかというと微妙だろう。研究者としてのキャリアや同級生へのマウンティング可能指数などを考えると、「5000万円調達してくれる人が現れて、北海道に巨大な研究施設を作ろうとしている」の方が実利を得やすいと思われる。出来上がった実験機も、5000万円ルートの方がインスタ映えするだろう。

人間、映えない、かっこよくないことをやるとテンションが下がる。5000万円の投資や1億円の補助金を避けて50万円で試作品を作ることを「かっこ悪い」「ダサい」と思っていれば自ずと手も遠ざかるし、無理やりやらせても成果が出ない。

しかしまだ芽はある。当たり前なのだが意外な盲点として、「かっこよくないこと」は人によって異なる

例えば残業・長時間労働だ。私はこれまでのキャリアで、周囲の人間が長時間労働を苦としない中でどうしてもそれに馴染めなかった。20代の頃は体力の問題だと思っていたが、30代も後半になると気づいた。実は私が「長時間労働=先が読めない無能=恥ずかしい」と思っていることが大きく影響していたのだ。一方で少なくとも同世代以上の多くには、「長時間労働=求められている・難しい仕事をしている=仕事ができる=かっこいい」の図式がインストールされている。こっちの人種において長時間労働や休日出勤は、もちろんフィジカルなストレスはあれど、メンタル的にはポジティブなブーストがかかっている。対する私はフィジカルストレス+逆噴射だ。

私は定時で帰ることをかっこ悪いと思っていないように、少ない金額で何かを製作することについても恥ずかしいと思っていないし、巨額の補助金をもらうことをかっこいいと思っていない。感覚が、メインストリームのそれとずれているようだ。なので、多くの人が「かっこ悪い」「恥ずかしい」と思うがゆえに発展していない部分を代行する会社・事業を作ってみたい。