(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

企業内で新規事業をやる側の意外なデメリット

カフェで仕事をしていたら、近くに不動産契約をしているグループがいた。契約書に電話番号を書いていたのか、グループの一人が「090って珍しくないですか?」と言い出した。なお私の私用携帯番号は090である。彼らは、すっごい昔に電話番号を取得してないとお目にかかれない、ということなどを話して、「親から受け継いだんです」ということでその会話が完結した。電話番号の継承。私の090は、2000年に取得した。そういえば会社から支給される携帯の電話番号はいつも080だったし、近年はついに070も登場していた。なるほどである。

ちなみに私は、2000年当時は家に電話も引いていた。つまり固定電話の番号(03)を持っていた。なぜ固定電話を持っていたかというと、なんとなく「そういうもの」だと思っていたからだ。結局、あまりに使わないため間違い電話受電専用になっていたので、何年かして解約した。ただこの解約が不便を運んできた。2000年代までは携帯の電話番号(090)はあくまでサブ的扱いであり、何かの契約をする際には固定電話の番号が必要だったのだ。携帯のキャリア変更をするのに固定電話の番号を求められて困った。「ご自宅にないならご実家の電話番号でいいですよ」という、固定電話を引いていない若者向けの対策は講じられていたが、私は実家を取り潰していたので実家の電話番号もなかった。これについて、当時の私は20代前半でまごうことなき若者だったので、実家ありきで扱われるのも仕方ないと思うところもあった。しかし4050代になったら実家がなくなる人も増えてくるはずで、そしたらこの商習慣どうすんだと思っていた。結局、思ったより早く時代が追いついたようで、2010年代中盤くらいを境にそういうことはなくなった。

近年はプライベートで電話番号を交換しなくなっている。LINEMessengerで事足りるからだ。そのうち携帯の電話番号は会社から配布されるものになって、個人では持たなくなるのだろうか。

最近の高級ホテルのサービスアパートメント化やワーケーションの隆盛を見ると、住所が身分を保証するという習慣すら、何か別のものに代わるのではないだろうか。

 

新規事業・新規商品は嫌われる

大学入学時に上京した私が確たる信念もユースケースイメージもなく固定電話を引いたように、「そういうもの」と思われている商品はとんでもなく強い。が、固定電話ですら、なくなる時はなくなる。だから企業は新規事業や新規商品を模索する。

しかしその動きは、盤石な既存事業(固定電話市場のような)を守っているものからすれば邪魔くさいことこの上ない。固定電話の販売や製造について日々のルーチンを高い精度で実施する人たちは、新入社員や基礎研究部門に対して「給料ドロボウ」といった言葉を投げかけることがある。しかしこの言葉の意味は「役に立たない」(消極的)だからまだ優しい方である。(※相対的に優しいから言っていいわけではない。念のため) 彼らにとって「給料ドロボウ」以上に、自分のテリトリー、つまり製造現場や営業現場に現れて新規商品を開発・提案する人間たちは、「消したいほど邪魔」(積極的)なのである。

特定のグループに邪魔と思われると何が起こるかというと、陣営が分かれてしまう。つまり敵と味方に分かれる。仮想敵がいると内部の団結力が強まるので、団結力を強めるために分裂を利用する輩まで現れる。政治力が強いと、既存事業メンバーで徒党を組んでの嫌がらせまで可能である。

なんでこんなことを書くかというと、実際に嫌がらせが発生した話を聞いてしまったからだ。当時比較的若かった私は、従業員が優秀であるはずの一部上場企業でそんなことが起こるのかと心底驚いた。その人は、自身の責務の範囲内ではかなり仕事はできる。ただ単に技術力がある、プレゼン力がある、だけではなく、社内の立ち回りなども上手かった。つまり政治力があった。政治力があるから嫌がらせも上手いのだ。厄介である。会社がやると決めたはずの新規商品をメンバーごと潰していいと判断するだけの正義が彼の中にはあったと思われる。しかし新規側に立ちがちな私には、どういうロジックが彼の中にあったのか想像ができない。彼の感情、彼の仕事、彼の出世において新規事業の存在が邪魔だったことだけは想像ができる。

私はその嫌がらせを直接食らったわけではないが、その彼が重用する人間と軽んじる人間を選んでいることは感じていたし、その選定が性格と能力と職務によってなされていることも察していた。つまり、その政治の影響が及ぶ程度の距離にはいた。さて、その彼が悪いかというと決して悪くはない、なぜならばときれいな話に落としたいところだが、まあ残念ながら悪いと思う。しかし、なぜ嫌がらせの扇動が可能かというと、彼一人の力では成り立たない。新規事業グループにネガティブな感情を抱いている人間が多かったからだ。彼はそれを被害者代表として代弁しただけなのだ。政治力が弱い身としては見事だなと思う。

新規事業の開発、新規商品の開発についてコンサルタントとして見聞きしたデメリットは、

・難易度の割に成果が得にくいため昇給・ボーナスの査定が低くなりがち
・失敗したら戻る場所がない
→チャレンジするメリットがない

この辺りだが、個人的にはそういうことよりも、日々邪魔なやつらとして扱われる方がきつかったし、モチベーションを削いだ。

 

なぜ嫌われるのか

なんでそんなに忌み嫌われるかというと、まず、新規事業や新規商品開発チームにはちょっと性格に難がある人が流されてきやすい。政治力がある人=他人に鬼ほど気を配れる人は既存事業を円滑に回す要員として貴重なため新規事業には配属されない。コミュ力が低いか、妙にこだわりが強いか、など、事務員やオペレーターをイラつかせやすい人間が多いという側面もある。根回しが下手な医者が看護師や放射線技師などを全員敵に回すような感じである。たぶん。新規事業だけで部門が閉じていれば話は別だが、既存事業と新規事業で事務員などを共有している場合、事務員からすれば「なんであのコミュ障どもの尻拭いを私がしなきゃならないわけ?」となるわけだ。これが超短期的な視野で起こる、新規事業に関わらず起こり得る衝突だ。若い頃はこういう話を本当にマジで心底理解できず本気でバカじゃねーのと思っていたが、企業活動における問題の8割以上はこれが原因な気がする。

少し中長期的な視野を持った人からすると少し様相が異なる。新規事業には決まったプロセスがなく、既存事業用のプロセスしかないことがある。この場合、既存事業メンバーからすると新規事業メンバーが何をやっているか全くわからないのである。「仕事をしていないのでイラつく」くらいで済めばいいが、仕事をしていないはずなのに自分たちの装置を侵食してきたりするので、「存在が不気味」になっていく。なお決まったプロセスがない場合、新規事業側にいてもどんなステップで何をしないといけないかわからない。なので、今現在自分と自分のチームが何パーセントの進捗を達成したのかわからない。そりゃ外の人にわかるわけがない。

いま私が「化学」のバックグラウンドを持ち「技術の事業化」に関心がある、と言うと、創薬・製薬を紹介されることがある。まあ確かに薬のコアの技術は有機化学である。しかし創薬・製薬は、実は私の関心分野(化学・素材・エネルギー)とは、状況が異なる。創薬・製薬業界は研究開発から商品化・販売までのプロセスが明確である。古い薬を生産しながら新しい薬を開発するというポートフォリオマネジメントが、研究から治験、量産化、云々というサイクルが、プロセスとして定着しているのである。

どれくらい明確かつ定着しているかというと、明確すぎて研究専門の会社を作れる。研究が(研究開発が?)成功したら大企業に売るらしい。一方、私が見てきたような化学系メーカーのグズグズの研究開発プロセスを会社にするなんて想像ができない。というか、どこまでやったら研究が成功なのかわからない、つまり、どの時点で大企業に売却できるのかもよくわからないので、そもそもビジネスとして成り立たない。

なんで化学系メーカーがプロセスを明確にしないかといえば、ニーズもなければ機会もなかったからだろう。製薬会社が新規の薬を開発し続けているような気概は、化学メーカーにはない。(私が知る限りは) なんだかんだ今生き残っている化学メーカーは、既存事業が強い。ただ冒頭の固定電話の例のように既存事業がいつまで続くかわからない。そういう時に社内で政治遊びをするような事態を避けるには、新規事業開発とは何か、にまともに取り組んだほうがいいように思う。