(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

根性は毒

出所を控え忘れてしまったのだが、出版社で雑誌の編集者かライターかをやっていた人がこんな話を載せていた。

 

20代の頃は「これこれの雑誌にそれそれの記事を8ページ載せるから何日までに原稿を上げること」といった指示のもと仕事をしていた。独立したら予算の都合や諸々何かの事情で「やっぱあの案件なしになりました」なんてことが起こる。仕事にならないことがあるという世界を20代の自分は知らなかった。

 

出所を辿れないためこの方がこのエピソードを、「出版社は確実に市場に出る仕事を出し続けてすごい」みたいに結論付けたのか、「独立した際にはこんなことが起こり得ると20代の自分は知らなかった」みたいに結論づけたのか忘れてしまったが、私自身がどう感じたかというと、「私は市場に出ることが確約された仕事なんかやったことないな」だった。

 

研究や新規系の開発は、基本はお金にならない。なので一生懸命8枚の記事を魅力的に書き立てても誰も買わないかもしれない。本屋に並ばないかもしれない。印刷すらしてもらえないかもしれない。いや、かもしれないっていうか、デフォルト設定が「誰も買わないし本屋にも並ばないしそもそも発行されない。5年後には本屋に並ぶかもしれない」であり、研究開発者はそんな世界観で生きている。研究や開発においてはだいたい編集長が不在である。つまり、20代が作る「8枚を含む複数の記事」を「雑誌」としてまとめ上げ「市場」に出す行為の遂行者ははっきりしていない。この点は、自分がやらなければと考えている人と、すげー8枚を作った暁には誰かがやってくれるだろうと考えている人に分かれる。基本は後者が多く、その認識のまま40代になり「編集長」になるので、組織としては遂行者・責任者不在ということになる。

 

私はなんとなく昔から仕事の場で「根性」を求める人を信用しておらず、派生して長時間労働にも非常に懐疑的である。単純に体力がなかったり、熱中しにくい=「根性」が発揮されにくいといった事情もあるのだが、この記事で感じた認識の乖離が一つの答えであるように思う。根性で徹夜して8枚の記事を作るのはなんのためか、ということなのだ。

 

出版社の雑誌を作る部門なら、8枚を徹夜で書き切る「根性」は非常に大事なことかもしれない。毎月5日に発行している雑誌を「今月は出せないかもっす」とか「7日に伸びそうっす」なんてとぼけた姿勢で作ることは許されない。それくらいはマスコミの業界経験のない私でもわかる。何らかの形で記事に欠番が出れば末端がカバーしなければならない。末端はそれをチャンスと捉え、何時でも連絡がつき超短納期で商品を仕上げる「根性」、そして、魅力的な記事を書ける能力をアピールする。(そもそもこの方の話は8ページを短納期で仕上げることを指していなかったと思うが、業界柄、そういうこともあっただろうと想定している)

 

研究開発では、指示される納期に雑誌ほどの明確な背景はない。ただ目の前の顧客が急げと言ったとか(しかもその顧客には決裁権はないので金は動かない)、下手すると前からやろうと思ってたことを急に思い出して、週明けの報告会にそれを載せたいけどもう金曜だわ、休日出勤すれば間に合うかな〜みたいなノリだったりする。それをやり遂げても査定は上がるかもしれないが、会社には1円も入らない。その苦労を積み上げて成長するんだぞという意見もあろうが(というか散々言われた)、5年やら10年やら先まで売上が立たないかもしれないという中、5年以上そのノリを続けられるのは「徹夜」や「休日出勤」や「無茶振りに応える自分」自体が純粋に好きな人だけである。または、研究開発の技術的な側面が好きすぎる人もいけるかもしれない。虫の観察なら寝ずにできる、レベルの根源的に「好き」なやつである。

 

もちろん出版社だって「根性」を出し続けることを求めるなら「無茶振りに応える自分」が好きな人が有利だろうが、1点致命的に異なるところがある。雑誌の記事を徹夜で書き上げれば数ヶ月後には「ああ、あの日自分が頑張った証がここに」とAmazonを見ながらでも書店に立ちながらでもしみじみ感じられるのだ。SNS時代の今なら自分の記事を読んだ人の感想まで探せてしまうかもしれない。一方で研究開発にそんなリターンは存在しない。

 

だいたい、この責任者不在の構造の中で「根性」による「苦労」を積み上げたら3年後や10年後のオチは「苦労の結晶が書店に並ぶ」ではなく「事業の解散」である。雑誌のように全体の構造を監視しマネジメントしてくれる人や仕組みがない以上、根性だけでは商品にならないし誰も買わないでコストだけ垂れ流されていく。

 

数ヶ月後に書店に並べて売るものを作っているのではない以上、研究開発者の人件費や研究開発に使う諸経費は全てどこかから投資されている。つまり、当面の資金や売上のことは考えなくていいように守られている。なので研究開発者はどこか貴族っぽかったり、人によっては、金のことは他の人の責任だからそういう話は自分に聞かせてくれるなという態度になることもある。彼らは今の仕事が「仕事」にならないことを受け入れている。数ヶ月後の売上を視野に日々のサイクルを回している人からすると、いや売上になるように「根性」出せよと思うだろうが、本当に人類が必要としているのか不明確なくらいな何かを作って売り上げるには、3年計画、5年計画、10年計画、下手すれば20年計画が必要で、それを視野に入れて本気で心を砕くだけで消耗する。そこに「8ページの記事を徹夜で作る」を定常的に混ぜるのは人間のメンタル的に不可能である。どこかに適当さを入れないと保たないのだ。