(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

根性は毒

出所を控え忘れてしまったのだが、出版社で雑誌の編集者かライターかをやっていた人がこんな話を載せていた。

 

20代の頃は「これこれの雑誌にそれそれの記事を8ページ載せるから何日までに原稿を上げること」といった指示のもと仕事をしていた。独立したら予算の都合や諸々何かの事情で「やっぱあの案件なしになりました」なんてことが起こる。仕事にならないことがあるという世界を20代の自分は知らなかった。

 

出所を辿れないためこの方がこのエピソードを、「出版社は確実に市場に出る仕事を出し続けてすごい」みたいに結論付けたのか、「独立した際にはこんなことが起こり得ると20代の自分は知らなかった」みたいに結論づけたのか忘れてしまったが、私自身がどう感じたかというと、「私は市場に出ることが確約された仕事なんかやったことないな」だった。

 

研究や新規系の開発は、基本はお金にならない。なので一生懸命8枚の記事を魅力的に書き立てても誰も買わないかもしれない。本屋に並ばないかもしれない。印刷すらしてもらえないかもしれない。いや、かもしれないっていうか、デフォルト設定が「誰も買わないし本屋にも並ばないしそもそも発行されない。5年後には本屋に並ぶかもしれない」であり、研究開発者はそんな世界観で生きている。研究や開発においてはだいたい編集長が不在である。つまり、20代が作る「8枚を含む複数の記事」を「雑誌」としてまとめ上げ「市場」に出す行為の遂行者ははっきりしていない。この点は、自分がやらなければと考えている人と、すげー8枚を作った暁には誰かがやってくれるだろうと考えている人に分かれる。基本は後者が多く、その認識のまま40代になり「編集長」になるので、組織としては遂行者・責任者不在ということになる。

 

私はなんとなく昔から仕事の場で「根性」を求める人を信用しておらず、派生して長時間労働にも非常に懐疑的である。単純に体力がなかったり、熱中しにくい=「根性」が発揮されにくいといった事情もあるのだが、この記事で感じた認識の乖離が一つの答えであるように思う。根性で徹夜して8枚の記事を作るのはなんのためか、ということなのだ。

 

出版社の雑誌を作る部門なら、8枚を徹夜で書き切る「根性」は非常に大事なことかもしれない。毎月5日に発行している雑誌を「今月は出せないかもっす」とか「7日に伸びそうっす」なんてとぼけた姿勢で作ることは許されない。それくらいはマスコミの業界経験のない私でもわかる。何らかの形で記事に欠番が出れば末端がカバーしなければならない。末端はそれをチャンスと捉え、何時でも連絡がつき超短納期で商品を仕上げる「根性」、そして、魅力的な記事を書ける能力をアピールする。(そもそもこの方の話は8ページを短納期で仕上げることを指していなかったと思うが、業界柄、そういうこともあっただろうと想定している)

 

研究開発では、指示される納期に雑誌ほどの明確な背景はない。ただ目の前の顧客が急げと言ったとか(しかもその顧客には決裁権はないので金は動かない)、下手すると前からやろうと思ってたことを急に思い出して、週明けの報告会にそれを載せたいけどもう金曜だわ、休日出勤すれば間に合うかな〜みたいなノリだったりする。それをやり遂げても査定は上がるかもしれないが、会社には1円も入らない。その苦労を積み上げて成長するんだぞという意見もあろうが(というか散々言われた)、5年やら10年やら先まで売上が立たないかもしれないという中、5年以上そのノリを続けられるのは「徹夜」や「休日出勤」や「無茶振りに応える自分」自体が純粋に好きな人だけである。または、研究開発の技術的な側面が好きすぎる人もいけるかもしれない。虫の観察なら寝ずにできる、レベルの根源的に「好き」なやつである。

 

もちろん出版社だって「根性」を出し続けることを求めるなら「無茶振りに応える自分」が好きな人が有利だろうが、1点致命的に異なるところがある。雑誌の記事を徹夜で書き上げれば数ヶ月後には「ああ、あの日自分が頑張った証がここに」とAmazonを見ながらでも書店に立ちながらでもしみじみ感じられるのだ。SNS時代の今なら自分の記事を読んだ人の感想まで探せてしまうかもしれない。一方で研究開発にそんなリターンは存在しない。

 

だいたい、この責任者不在の構造の中で「根性」による「苦労」を積み上げたら3年後や10年後のオチは「苦労の結晶が書店に並ぶ」ではなく「事業の解散」である。雑誌のように全体の構造を監視しマネジメントしてくれる人や仕組みがない以上、根性だけでは商品にならないし誰も買わないでコストだけ垂れ流されていく。

 

数ヶ月後に書店に並べて売るものを作っているのではない以上、研究開発者の人件費や研究開発に使う諸経費は全てどこかから投資されている。つまり、当面の資金や売上のことは考えなくていいように守られている。なので研究開発者はどこか貴族っぽかったり、人によっては、金のことは他の人の責任だからそういう話は自分に聞かせてくれるなという態度になることもある。彼らは今の仕事が「仕事」にならないことを受け入れている。数ヶ月後の売上を視野に日々のサイクルを回している人からすると、いや売上になるように「根性」出せよと思うだろうが、本当に人類が必要としているのか不明確なくらいな何かを作って売り上げるには、3年計画、5年計画、10年計画、下手すれば20年計画が必要で、それを視野に入れて本気で心を砕くだけで消耗する。そこに「8ページの記事を徹夜で作る」を定常的に混ぜるのは人間のメンタル的に不可能である。どこかに適当さを入れないと保たないのだ。

企業内で新規事業をやる側の意外なデメリット

カフェで仕事をしていたら、近くに不動産契約をしているグループがいた。契約書に電話番号を書いていたのか、グループの一人が「090って珍しくないですか?」と言い出した。なお私の私用携帯番号は090である。彼らは、すっごい昔に電話番号を取得してないとお目にかかれない、ということなどを話して、「親から受け継いだんです」ということでその会話が完結した。電話番号の継承。私の090は、2000年に取得した。そういえば会社から支給される携帯の電話番号はいつも080だったし、近年はついに070も登場していた。なるほどである。

ちなみに私は、2000年当時は家に電話も引いていた。つまり固定電話の番号(03)を持っていた。なぜ固定電話を持っていたかというと、なんとなく「そういうもの」だと思っていたからだ。結局、あまりに使わないため間違い電話受電専用になっていたので、何年かして解約した。ただこの解約が不便を運んできた。2000年代までは携帯の電話番号(090)はあくまでサブ的扱いであり、何かの契約をする際には固定電話の番号が必要だったのだ。携帯のキャリア変更をするのに固定電話の番号を求められて困った。「ご自宅にないならご実家の電話番号でいいですよ」という、固定電話を引いていない若者向けの対策は講じられていたが、私は実家を取り潰していたので実家の電話番号もなかった。これについて、当時の私は20代前半でまごうことなき若者だったので、実家ありきで扱われるのも仕方ないと思うところもあった。しかし4050代になったら実家がなくなる人も増えてくるはずで、そしたらこの商習慣どうすんだと思っていた。結局、思ったより早く時代が追いついたようで、2010年代中盤くらいを境にそういうことはなくなった。

近年はプライベートで電話番号を交換しなくなっている。LINEMessengerで事足りるからだ。そのうち携帯の電話番号は会社から配布されるものになって、個人では持たなくなるのだろうか。

最近の高級ホテルのサービスアパートメント化やワーケーションの隆盛を見ると、住所が身分を保証するという習慣すら、何か別のものに代わるのではないだろうか。

 

新規事業・新規商品は嫌われる

大学入学時に上京した私が確たる信念もユースケースイメージもなく固定電話を引いたように、「そういうもの」と思われている商品はとんでもなく強い。が、固定電話ですら、なくなる時はなくなる。だから企業は新規事業や新規商品を模索する。

しかしその動きは、盤石な既存事業(固定電話市場のような)を守っているものからすれば邪魔くさいことこの上ない。固定電話の販売や製造について日々のルーチンを高い精度で実施する人たちは、新入社員や基礎研究部門に対して「給料ドロボウ」といった言葉を投げかけることがある。しかしこの言葉の意味は「役に立たない」(消極的)だからまだ優しい方である。(※相対的に優しいから言っていいわけではない。念のため) 彼らにとって「給料ドロボウ」以上に、自分のテリトリー、つまり製造現場や営業現場に現れて新規商品を開発・提案する人間たちは、「消したいほど邪魔」(積極的)なのである。

特定のグループに邪魔と思われると何が起こるかというと、陣営が分かれてしまう。つまり敵と味方に分かれる。仮想敵がいると内部の団結力が強まるので、団結力を強めるために分裂を利用する輩まで現れる。政治力が強いと、既存事業メンバーで徒党を組んでの嫌がらせまで可能である。

なんでこんなことを書くかというと、実際に嫌がらせが発生した話を聞いてしまったからだ。当時比較的若かった私は、従業員が優秀であるはずの一部上場企業でそんなことが起こるのかと心底驚いた。その人は、自身の責務の範囲内ではかなり仕事はできる。ただ単に技術力がある、プレゼン力がある、だけではなく、社内の立ち回りなども上手かった。つまり政治力があった。政治力があるから嫌がらせも上手いのだ。厄介である。会社がやると決めたはずの新規商品をメンバーごと潰していいと判断するだけの正義が彼の中にはあったと思われる。しかし新規側に立ちがちな私には、どういうロジックが彼の中にあったのか想像ができない。彼の感情、彼の仕事、彼の出世において新規事業の存在が邪魔だったことだけは想像ができる。

私はその嫌がらせを直接食らったわけではないが、その彼が重用する人間と軽んじる人間を選んでいることは感じていたし、その選定が性格と能力と職務によってなされていることも察していた。つまり、その政治の影響が及ぶ程度の距離にはいた。さて、その彼が悪いかというと決して悪くはない、なぜならばときれいな話に落としたいところだが、まあ残念ながら悪いと思う。しかし、なぜ嫌がらせの扇動が可能かというと、彼一人の力では成り立たない。新規事業グループにネガティブな感情を抱いている人間が多かったからだ。彼はそれを被害者代表として代弁しただけなのだ。政治力が弱い身としては見事だなと思う。

新規事業の開発、新規商品の開発についてコンサルタントとして見聞きしたデメリットは、

・難易度の割に成果が得にくいため昇給・ボーナスの査定が低くなりがち
・失敗したら戻る場所がない
→チャレンジするメリットがない

この辺りだが、個人的にはそういうことよりも、日々邪魔なやつらとして扱われる方がきつかったし、モチベーションを削いだ。

 

なぜ嫌われるのか

なんでそんなに忌み嫌われるかというと、まず、新規事業や新規商品開発チームにはちょっと性格に難がある人が流されてきやすい。政治力がある人=他人に鬼ほど気を配れる人は既存事業を円滑に回す要員として貴重なため新規事業には配属されない。コミュ力が低いか、妙にこだわりが強いか、など、事務員やオペレーターをイラつかせやすい人間が多いという側面もある。根回しが下手な医者が看護師や放射線技師などを全員敵に回すような感じである。たぶん。新規事業だけで部門が閉じていれば話は別だが、既存事業と新規事業で事務員などを共有している場合、事務員からすれば「なんであのコミュ障どもの尻拭いを私がしなきゃならないわけ?」となるわけだ。これが超短期的な視野で起こる、新規事業に関わらず起こり得る衝突だ。若い頃はこういう話を本当にマジで心底理解できず本気でバカじゃねーのと思っていたが、企業活動における問題の8割以上はこれが原因な気がする。

少し中長期的な視野を持った人からすると少し様相が異なる。新規事業には決まったプロセスがなく、既存事業用のプロセスしかないことがある。この場合、既存事業メンバーからすると新規事業メンバーが何をやっているか全くわからないのである。「仕事をしていないのでイラつく」くらいで済めばいいが、仕事をしていないはずなのに自分たちの装置を侵食してきたりするので、「存在が不気味」になっていく。なお決まったプロセスがない場合、新規事業側にいてもどんなステップで何をしないといけないかわからない。なので、今現在自分と自分のチームが何パーセントの進捗を達成したのかわからない。そりゃ外の人にわかるわけがない。

いま私が「化学」のバックグラウンドを持ち「技術の事業化」に関心がある、と言うと、創薬・製薬を紹介されることがある。まあ確かに薬のコアの技術は有機化学である。しかし創薬・製薬は、実は私の関心分野(化学・素材・エネルギー)とは、状況が異なる。創薬・製薬業界は研究開発から商品化・販売までのプロセスが明確である。古い薬を生産しながら新しい薬を開発するというポートフォリオマネジメントが、研究から治験、量産化、云々というサイクルが、プロセスとして定着しているのである。

どれくらい明確かつ定着しているかというと、明確すぎて研究専門の会社を作れる。研究が(研究開発が?)成功したら大企業に売るらしい。一方、私が見てきたような化学系メーカーのグズグズの研究開発プロセスを会社にするなんて想像ができない。というか、どこまでやったら研究が成功なのかわからない、つまり、どの時点で大企業に売却できるのかもよくわからないので、そもそもビジネスとして成り立たない。

なんで化学系メーカーがプロセスを明確にしないかといえば、ニーズもなければ機会もなかったからだろう。製薬会社が新規の薬を開発し続けているような気概は、化学メーカーにはない。(私が知る限りは) なんだかんだ今生き残っている化学メーカーは、既存事業が強い。ただ冒頭の固定電話の例のように既存事業がいつまで続くかわからない。そういう時に社内で政治遊びをするような事態を避けるには、新規事業開発とは何か、にまともに取り組んだほうがいいように思う。

安い金額でリーンスタートアップできない業界

渋谷の「コムサカフェ」が2021228日に閉店するらしい。開店は2004年、17年前である。かつては行列ができていたような記憶だが、最近行った時は、穴場認定していいほど空いていた。もはや、スタバの席に空きがなければここという位置付けだ。だが、スタバの空きを確認するまでもなくコムサカフェに行く、というほどではなかった。というか、それならそもそも空いていない。なぜそうならないかというと、「時間が止まった」ような感じがあったのだ。ちょっとショボい感というか、場末感が漂い始めていた。綺麗なフルーツタルトの陳列は開店当時と変わってないはずなのに、「見るだけでテンション上がる」感を失っていた。つまり、映えが弱かったコムサカフェの価格帯はタルト+コーヒーで1000円弱なので、「映え」系パンケーキがドリンク付き2000円台と考えると金額差からして比較対象はそちらではないのだが、であればなぜスタバに競り負けるのか。ガチの場末喫茶店のように壁紙が剥がれているとか椅子が破れているということはなかったので、メンテはきちんと行われているはずなのだが。

そういえばコムサ系列のカフェは新宿東口にもあった。かつてこの新宿店の行列は渋谷の比でなく半端なかったが、かなり前にビルごと撤退していた。

センスをアップデートし続けるって難しいのかもしれない。

 

周期と終末

私のような重めのメーカー出身者には、10年やそこらで事業性が損なわれるほど流行やセンスが変化するという考え方がどうも受け入れがたい。とはいえメーカーのお買い物(会社とか、装置とか)を稟議にかける場合の、計画上の投資回収年限は3年や5年なので、本来は10年程度で事業が終わってしまうことは十分想定されている。ただ「終わらせてはいけない」というプレッシャーが重いので、「潮時でしょう、開業17年ならむしろ持った方です」が通用するイメージを持てないのだ。通用しないから半永久的に終わらない潜在ニーズを探し求めて新規事業ゲームの難易度を爆上げさせ、負の無限ループに入る。

私は新規事業の失敗ばかり見てきたが、それらの失敗の原因は「価格設定を間違えた」とか「競合の出方について見立てが甘かった」といった「企画の弱さ」で説明できなくもない。コムサカフェで言うなら「スタバという競合に対してポジショニングをどうのこうの」で、「高級路線にシフトしてインスタグラムヘビーユーザー層に訴求する」とかなんとかである。しかしこんなもんは後出しジャンケンで、ケーススタディよろしくたくさん要素を羅列できればなんだか賢そうに演出できるが、演出でしかなく、実行性がない。本当にお前がコムサカフェの経営責任者だったとして、2004年開業のコムサカフェのケーキ単価を上げてインスタ祭りをやるのか?大学生のレポートじゃねーんだぞ、という話である。私が見てきた失敗群全てに共通する一番の問題は、「状況が変わった時に撤退する基準が設けられていない」「だから状況の変化もモニタリングしてない」だったと思う。

サクッと初めてサクッと止めるのではなく、グググッと始めていきなり10億円とか100億円とか投じてしまい、止められない。始めるハードルも前述の通り重いので、役員の強い「想い」が乗っからないと始められない。結果的に、撤退の議論などただの事業性の話であるはずが「想い」を乗せた役員の「メンツ」の話にすり替わり、触ってはいけない話になってしまう。

 

暗殺されそうな対策案

この問題に対してこれまで私は、退職代行よろしく事業終わらせ屋が必要だと考えてきた。事業ターミネーターである。

ただ私は退職代行が務まるほどメンタルが強靭ではないので、ターミネーターも務まらない。ターミネートのプロセスを請け負うのは恨みを買って殺されそうなので、「こいつに“終わってる”と言い渡されたらジタバタしても仕方がねぇ」くらいの権力を持つのが良いのだろう。

と、うすぼんやりとした野心があったのだが、改めて文字に起こしてみると、そんな存在がいたらそれはそれでデメリットも山ほど思いつく。暗殺プロジェクトの一つや二つ立ち上がりそうなので、そもそもそんな存在になる前に潰されること必至である。

 

暗殺回避案

ならば逆に、「こいつが面白いと言ったらGOして良い」という存在になる方がいいのかもしれない。そっちなら多少のデメリットはあれど、暗殺対象にはなるまい。

この存在、広告業界などにはすでに居ると思う。その周辺の業界の切り方がよくわからないのでこの命名でいいのかわからないが、佐藤可士和とか、糸井重里とかだ。なのになぜ私の通ってきた業界にはいないのか?結局何が違うのかというと、私の通ってきた重い業界では試作→検証のサイクルが人生で数発しか打てないことではないか。学生時代、製薬業界を見て「30年を一つの薬剤研究に投じるとか絶対無理。失敗しても2周目に入れないじゃん」と思ったのだが、世界を広めに見たら今の私は完全にそっち側である。視野が狭かった。

しかし、私が居る場所がそうなっていること自体にごちゃごちゃ言っても仕方がない。では、1年に10発とか打てるようになるにはどうしたらいいのか。

 

現実からどう考えるか

軽めの業界の人には驚かれるが、重めの業界は本当にいきなり100億円動かす。リーンやらなんやらが流行ったり、モトローラGEなどのすごそうな大企業が派手に投資して派手に失敗したこと※なども手伝って、いきなり100億は避けたほうがいいという風潮は生まれている。この風潮を実業に定着させようという動きもある。が、では具体的にどうやるのかというと、ソフトウェア業界の例が出てきたりして驚くほど参考にならない。なぜ参考にならないかというと、重い業界というのは、「早期に50万円で試作品を作り顧客に使ってもらってフィードバックしましょう」を実現するのに5億円要るのだ。そうでなければ、「新規事業だけど、既存生産ラインを使う商品しか企画してはならない」という、5億円調達より難しい条件が課される。

というわけで、「早期に50万円で試作品を作り顧客に使ってもらってフィードバックしましょう」を、ソフトウェア業界の成功例に頼らず、かつ、5億円かけずに実現する方法を考える必要がある。

(※失敗談として残すのがアメリカらしいなと思う。日本では役員のメンツが重要視されるので、記録から抹消される)

 

低予算製作を成功させた例

ところでここに1冊の本がある。

マグネシウム文明論」
https://www.amazon.co.jp/dp/B00799X19W/

正直なところ題名の「文明論」はちょっと言い過ぎである。「文明論」のせいでマグネシウム化合物に着目した考古学や文化人類学かと思ってしまったが、違った。大学教授(助教授)が自身の研究テーマについて書いたもので、マグネシウム化石燃料に代わるエネルギー源になるということを説明している。これはこれで、実現すればマグネシウム化合物の考古学より面白い。ただし、工学修士持ちの私でもさらりと読んだだけでは理解できないくらい研究内容に踏み込んでいる。なので興味のある方は実際に読んでいただくとして、この中に興味深いエピソードがある。2007年に株式会社を作ったのだ。

元々は自己資金(貯金)で実験施設を作るつもりで株式会社を設立したのだが、取締役の一人が資金を集めてくると言い出した。あれよあれよと計画予算は5000万円になり、北海道やら中東やらの土地を借りることになり、装置は予算なりの高スペックを追求して1台500-2000万円となった。しかしこの取締役が資金集めを放棄したため計画が白紙になり、最終的に50万円の装置を大学の屋上に設置した、ということらしい。

このエピソードは、5億円調達を避けて50万円で試作品を作ることも、実はできる?という光明を示唆している。面白いのは同じ人物・同じ研究室が、「予算5000万円」で動いた時は5000万円なりのものを作っていたのに、「予算がほぼゼロ」になったら50万円での製作を実現したことだ。前提が思考に及ぼす影響力よ。

ただ、予算5000万円ルートの方が、経緯が映える。研究内容が期待できるものであることを示すし、金策能力まで担保されている。次世代の研究者。なんとも「映え」だ。対する50万円ルートは、投資の話がポシャった、かつ、東京から北海道の移動費などから運用費が瞬殺され、仕方なく北海道の実験場を放棄して手持ちの予算でできる範囲の物を作った、というものだ。私の命題は「どうやって1年に10発打つのか=5億円ルートを回避するか」なので、5000万円を50万円に圧縮した経緯・経験・知見・技術力全てに敬意と好奇心が働くが、映えるかというと微妙だろう。研究者としてのキャリアや同級生へのマウンティング可能指数などを考えると、「5000万円調達してくれる人が現れて、北海道に巨大な研究施設を作ろうとしている」の方が実利を得やすいと思われる。出来上がった実験機も、5000万円ルートの方がインスタ映えするだろう。

人間、映えない、かっこよくないことをやるとテンションが下がる。5000万円の投資や1億円の補助金を避けて50万円で試作品を作ることを「かっこ悪い」「ダサい」と思っていれば自ずと手も遠ざかるし、無理やりやらせても成果が出ない。

しかしまだ芽はある。当たり前なのだが意外な盲点として、「かっこよくないこと」は人によって異なる

例えば残業・長時間労働だ。私はこれまでのキャリアで、周囲の人間が長時間労働を苦としない中でどうしてもそれに馴染めなかった。20代の頃は体力の問題だと思っていたが、30代も後半になると気づいた。実は私が「長時間労働=先が読めない無能=恥ずかしい」と思っていることが大きく影響していたのだ。一方で少なくとも同世代以上の多くには、「長時間労働=求められている・難しい仕事をしている=仕事ができる=かっこいい」の図式がインストールされている。こっちの人種において長時間労働や休日出勤は、もちろんフィジカルなストレスはあれど、メンタル的にはポジティブなブーストがかかっている。対する私はフィジカルストレス+逆噴射だ。

私は定時で帰ることをかっこ悪いと思っていないように、少ない金額で何かを製作することについても恥ずかしいと思っていないし、巨額の補助金をもらうことをかっこいいと思っていない。感覚が、メインストリームのそれとずれているようだ。なので、多くの人が「かっこ悪い」「恥ずかしい」と思うがゆえに発展していない部分を代行する会社・事業を作ってみたい。

 

世界を歩く(3) ドイツ・東欧

海外旅行記第3回である。

私の職歴だとか技術の事業化への考えだとかを書くと正直疲れるのだが、というか、推敲に時間がかかるのでそれなりの負荷がかかるのだが、海外旅行記は推敲がほとんど要らないので疲れにくい。「元リケジョのブログ」としてはズレている気がするが、リケジョも人間だし多種多様なタイプがいるので、割烹着を着てムーミンと実験大好きって言ってるワーカホリックばかりではないということを示していくことにも、文化人類学的に意義があるかもしれない。ライトな記事はこういう、書いていくうちにオチが迷走したような文章をそのまま放言できるので楽である。

 

海外旅行第03回「ドイツ・東欧」

前回2004年の「イタリア・スペイン」は学部の卒業旅行で、今回2006年の「ドイツ・東欧」は大学院(修士)の卒業旅行である。あまり贅沢ができない立場の人からすると「なに2回も卒業旅行行ってんだよ」だろうが、私はユースホステルに泊まれない程度には貧乏に慣れていないので、「修士課程の間に海外旅行行かなかったのか」という感想が先立った。学生は、金はなくても時間はあるのだから海外に行っておけというのは本当だなぁと思う。学生の私は「学生だから金がない」のではなく、「研究をしなくてはならないので時間がない」と考えていたのだと思うが、若者の「忙しい」はだいたい錯覚である。おそらく60代以上で国家を動かしてるような人たちから見れば今の私の「時間がない」も錯覚だろうから、大いにグダグダしたいところである。

03-1. ?????

f:id:da_nomae:20210205160850j:plain

どこ?

 

「?????」は誤植ではない。「2006年ドイツetc」フォルダの1枚目はこれである。前回のあれ(ローマの電車の座席)に比べて風景である分評価できるが、相変わらず空港と飛行機を撮らないのでどこか分からない。自身の動向からして、空港から都市に向かう電車の中だと思う。問題なのは前回の旅程はシンプルでわかりやすくそのため「最初に降り立ったのはローマ」と記憶もはっきりしていたのだが、今回は複雑でわかりにくいのでどこにINしてどこからOUTしたかすら記憶していない。つまりこの街がどこか分からない。この郊外の住宅と寒々しい空に、なにかしら異国情緒を感じて撮ったのだと思われる。

f:id:da_nomae:20210205161121j:plain

ブダペストっぽい(多分)

少し時間を置いてこの写真が出現する。ここでやっと1都市目がブダペストハンガリー)だとわかる。利き酒ならぬ利き都市である。

f:id:da_nomae:20210205161955j:plain

夕暮れブダペスト

前回に比べ2年歳をとって思春期特有のひねくれがなくなったのか、あるいは人類がデジタルカメラで写真を撮ることに慣れてきたのか、いい風景を撮るというシンプルな気概が感じられる。私は夕暮れが好きなので、そのせいかもしれない。暗い時間なのによく撮れているなと思うが、経験上、実際より明るいか暗いか、青みか赤みが強すぎるなど、うまく撮れないなぁと、写真撮影の腕のなさに臍を噬んでいたはずである。しかし、なんにせよ夕暮れは良いものである。

03-2. チェコ共和国プラハ

f:id:da_nomae:20210205162702j:plain

そんなにガッカリかな?の時計台@プラハ

私の利き都市の腕ではブダペストプラハの境目がわからなかったのだが、写真リストはいつの間にかプラハに入っていた。

f:id:da_nomae:20210205162845j:plain

プラハの三匹のカエル

これは浦沢直樹「MONSTER」で、チェコで三匹のカエルがどうのこうのという下りがあるので、こ、これは!プラハの!三匹のカエルじゃ〜〜〜!と思って撮ったもの。ところで浦沢直樹のカエルは「看板」なので、feat.浦沢直樹なら「看板」を出してくるはずである。しかしこのカエルは「ガラス細工」である。とするとこのカエルはなんなんだ?チェコ的に三匹のカエルって何かあるの?と思ったので調べてみたが、

・「MONSTER」の三匹のカエルは架空の橋の近くとされているが、この架空の橋は実在の「カレル橋」がモデルだと思われること
・「カレル橋」の近くには三匹のカエルならぬ三匹のダチョウの看板が実在すること

これしかわからなかった。他人のことを言えた立場ではないし「三匹のカエル」でググったのが悪いのだろうが、「MONSTER」起点じゃない情報がなくてびっくりである。さらには個人のブログばかりで正式な情報がなかった。結局、浦沢直樹とは関係なさそうな「三匹のカエル(ガラス)」が実際にプラハにいた理由は謎である。

カエルのガラス細工は度々見かけるので、ヨーロッパ人がカエルのガラス細工が好きで、三匹のダチョウ看板の情報から推察するに、チェコ人は動物を三匹並べるのが好き、とかそんな話なんじゃなかろうか。一応断っておくが、これは適当な個人の感想である。こうやってGoogleの検索精度が下がっていくんやな。

f:id:da_nomae:20210205163555j:plain

雪が残っている

f:id:da_nomae:20210205163626j:plain

拡大図

こちらは野生のアーティストの作品である。プラハ民、雪慣れしてるな。

03-3. チェコ共和国のどこか(多分)

f:id:da_nomae:20210205163759j:plain

質素な礼拝堂

この礼拝堂がどこのどういうものだったか忘れてしまったので正確ではないかもしれないが、東欧(ハンガリーチェコ)を巡っていて感じたのは、「西欧(フランスとか)って金持ちなんだな」ということだった。礼拝堂一つとっても、西欧は全面が金色か大理石かあるいは何かしらの宗教画で埋められていたのに対し、東欧のそれは、どこか質素で体育館のような佇まいであった。

もちろん東欧も王宮は豪華だったし、西欧にも質素な礼拝堂は存在すると思うので、妥当な比較かはわからないのだが、「空気感でそう感じた」のである。

西欧が金持ちなのは世界史を学べば一目瞭然ではあるが、実物で感じるのはまた格別だった。

 

03-4. ドイツ連邦・ベルリン

f:id:da_nomae:20210205164658j:plain

多分ベルリンの1枚目

プラハからどこかの街を経由してベルリンに入った模様。

f:id:da_nomae:20210205164346j:plain

急な愛社精神

これは未だになんなのかわからない、富士フイルム(株)の何かである。

f:id:da_nomae:20210205164846j:plain

The Wall

「元」壁の「内」か「外」かでかなり街並みが異なり、モニョった。この旅行(2006年)は壁の崩壊から17年、今(2021年)は壁の崩壊から32年経っている。今でもあの街並みの落差は存在するのだろうか。

f:id:da_nomae:20210205165332j:plain

浮かれクマ

03-5. ドイツ連邦・その他

f:id:da_nomae:20210205223104j:plain

浮かれライオン

どういうイベントなのかは分からないが、ベルリンにはクマが大量に、ミュンヘンにはライオンが大量にいた。2006年と言えばサッカーW杯がドイツで開かれた年であり、開催前のこの時期は街のいろんな部分が浮かれていた。

f:id:da_nomae:20210205165432j:plain

園都ハイデルベルク(ゲーム風)

f:id:da_nomae:20210205223615j:plain

ケルン大聖堂(大きすぎて広角レンズがないと全体が撮れない)

03-6. オーストリア共和国・ウィーン

ウィーンに行ったはずなのだが、どの写真がウィーンか分からなかった.........立地的にはドイツ入りする前に行っている気がする。前回のように写真を失っているか、オペラ座あたりの内装しか撮ってなくてわけわからなくなっている可能性が高い。こういう時に建築史などを教養として持っていると強いんだけどなぁ。

 

所感

空港を撮る文化を持ち合わせていないせいで、記事の終わり方が難しい。コミュニケーションのオチが写真頼みになってしまうとは、デジカメ(スマホ)やSNSは人類の文化を変えたなぁと思う。

f:id:da_nomae:20210212173742j:plain

最後の写真がこれ。大聖堂が撮れなくて力尽きたか

 

海外旅行記「世界を歩く」の過去記事はこちら。

danomae.hatenablog.com

danomae.hatenablog.com

世界を歩く(2) イタリア・スペイン

今回は、海外旅行記2回である。

海外旅行について、前記事に「全1526カ国」と書いたが、正しくは全1627カ国であった。(前記事の記述は修正済み)

まだ間違ってるかもしれないので以降はしれっと修正していく。修正漏れが出る可能性が高いので、記事によって違う数字が書かれていたらだいたい大きい数字が正しいと思ってもらえば間違いない。

 

海外旅行第02回「イタリア・スペイン」

前回(初海外)は2002年にシンガポール&西欧で、今回は2004年にイタリア・スペインを旅した。当時はヨーロッパにしか関心がなく、パリのルイヴィトンに入る金も度胸も関心もないのにベタなところばかりを回っていた。

一方で私はユースホステルに泊まったことがないパリピが絡んでくるのが面倒なのが一番だが、貧乏旅行を敢行できるほど貧乏に慣れていないからだ。かといって日本発ツアーも使ったことがない。日本人(しかも集団)が絡んでくるのが面倒なのが一番だが、個人で手配する金額の1.53倍を支払うほど金持ちでもないからだ。私の旅行遍歴を聞くとてっきりユースホステルを使ってるものだと思う勢と、私の第一印象からてっきりJTBの重要顧客だと思う勢がいるが、どちらでもないのだ。エアポケットな旅行者像だなと思う。

なおこの回は写真が残っているのでそれも少し使っていきたい。ただ「ヴェネツィアとミラノの写真がない」といった現象が散見される。2000年代はPCの買い替えの際にデータを移し替える必要があったわけだが、その際に雑な仕事をして取り残しがあったものと思われる。

 

02-1. イタリア(ローマ以北) 

f:id:da_nomae:20210204205939j:plain

電車の椅子@ローマ

2004年イタリア・スペイン」フォルダの写真はいきなりこれで始まる。これは何かというと、空港〜都市間を走る電車の座席である。SNSを見るとまず飛行機や空港が撮られているものだが、私はその辺の学びがどうも足りていない。

なんで飛行機も空港も撮らない私がこれを撮ったかというと、電車の座席に落書きがされていることがあまりにも新鮮だったからだ。つまり日本人がローマに着き次第その治安の悪さに感動したということだ。JTBは使わないが思考は貴族である。

f:id:da_nomae:20210204210956j:plain

ローマらしいローマ

ローマらしい写真が撮られていてよかった。

f:id:da_nomae:20210204211624j:plain

バチカンらしいバチカン

バチカンである。正面の建物が盛大に工事中という記憶しかない。どうして人の記憶って偏るんだろうな。

f:id:da_nomae:20210204211726j:plain

ちょっとだけフィレンツェらしいフィレンツェ

フィレンツェはこの写真から始まる。ローマの落書き椅子よりは観光写真らしさがあるが、既に結構歩いた後だと思う。そしてメディチ家の栄光的な写真がほぼない。

 

そして前段の宣言通り、ヴェネツィアとミラノの写真は丸ごと紛失していた。

なおヴェネツィアは、雨で寒すぎてしんどかった記憶しかない。ミラノも一番の見どころである大聖堂が工事中だった記憶が強い。いいことを記憶してほしいものである。

 

02-2. 夜行列車

ここへきて急な貴族を発揮するのだが、夜行列車の一等・個室でミラノからバルセロナに渡った。

食堂車もあったし、ディナーがついていた。ディナーの間にベッドメイキングがされベッドサイドにはゴディバ的なチョコレートまで置かれていた。突然の貴族すぎる。いま旅をしても、そこまでのサービスを求めるか微妙である。

ディナーでは相席になったスペイン人ビジネスマンが地元の白ワインを勧めてきたり、隣席のアメリカ人ヤンキーが肉料理とともにコーラを飲んでいたり、英語が下手な日本人の私は肉か魚か問われて魚を食すなど、世界のジョークを圧縮したようなワールドが繰り広げられていた。

が、何一つ写真が残っていない。食事の写真を撮る文化はまだ人類に芽生えてなかったと思うが、内装や客車の写真は紛失である。誠に遺憾である。

 

02-3. スペイン

早朝にバルセロナ入りしたその朝、マドリッドの駅で爆破テロがあった。マドリッドINにしていたら完全に巻き込まれていた。

 

f:id:da_nomae:20210204210116j:plain

バルセロナのどこかの床(きれい)

バルセロナの写真はこれから始まる。フィレンツェはまだ風景なのでマシな方だった。いきなり床の素晴らしさを説かれても、これがどこなのかわからない。この調子で内装の写真が8割以上を占める。

f:id:da_nomae:20210204210806j:plain

サグラダファミリア(工事中)

2004年のサグラダファミリア(裏面)である。正面からのあるある写真は撮っていない。このころの私は、「綺麗な写真は絵葉書に勝てないから撮る意味がなく、工事中の状態はその時だけのものだから撮る意味がある」と考えていた。人類が「写真の使い方」に慣れていなかったのだ。このころの人類は、デジカメで撮った写真の使い道は、フィルムカメラの現像写真アルバムよろしく個人で楽しむものだと考えており、SNSやブログで共有するような未来が来るとは思っていなかった。

 

f:id:da_nomae:20210204210224j:plain

手ブレ猫

アルハンブラ宮殿の猫である。手ブレが激しいが、近年はここまでブレる写真は撮れない気がする。技術の進化すごい。

 

f:id:da_nomae:20210204210610j:plain

アルハンブラ宮殿...?


前述の通りなので、アルハンブラ宮殿は有名な場所を撮ったショットが何一つない。上の写真はアルハンブラ宮殿の中のミニ中庭だが、これを撮るなら有名なメインの中庭も撮るべきではないのか。20代の考えることはわからない。

 

f:id:da_nomae:20210204210334j:plain

手ブレてない猫

上記はアルハンブラ宮殿ご近所である。

ところで以前の記事にこう書いた。

 エアコンの室外機には目立つ大きさの企業ロゴが貼り付けられている。煤けたものは「TOSHIBA」や「MITSUBISHI」で、新しいものは「LG」や「Samsung」だった。

要は、昔はみんな日本製品を買っていたのが、新調する家はみんな韓国製品を買っていたのだ。

その現場がこの町なのだが、重要な写真がない。つまり現物の、室外機の写真がない。これはデータをなくしたのではなく、初めから撮っていないと思う。やはり2004年は人類が「写真の使い方」に慣れていないと痛感する。

そして、トレドとマドリッドの写真はヴェネツィア・ミラノと同様に紛失していた。

 

所感

写真すごい。文章の量は大したことないのにすっごいたくさん書いた感じになる。読む側が受ける情報量も段違いだろう。写真すごい。カメラメーカーの発展の賜物である。

f:id:da_nomae:20210204210454j:plain

ローマの電器屋


 

世界を歩く(1) 西欧

イノベーションとか化学とか新規事業とかだけで毎週記事を書くことに限界を感じたので、軽めの題材を差し込むことにした。

20年間、全1627カ国の海外旅行記録である。

インスタ向けのいい写真は撮っていないが、考えたことはいろいろあるので、写真を差し込みながらブログに表現できたらと思っている。

仕事(海外出張)は対象から外しており、すべてプライベートでの写真・出来事だ。

 

海外旅行第01回「西欧」

地方民の私には修学旅行なんてものはなく(なかなか信じてもらえないが、高校の修学旅行はマジでない。自治体が超高齢化で若者にかける金がないからである)、また、親が休みなき医師だったので家族旅行自体なく、家族で海外なんて以ての外であった。というわけで初めての海外は大学入学後、2002年、シンガポール経由のイギリス・ロンドンだった。さらにドーバー海峡を渡り、フランス、ベルギー、オランダを旅した。

この回は写真が残っていないので写真から旅行らしいエピソードを記憶から引き出すことができず、謎エッセイになった。デジカメが流行り始めるかどうかの微妙な時期だが一応コンデジは持っていて、ロンドンのダブルデッカー(赤い2階建てバス)とか撮りまくった記憶があるのだが、データはどこへ消えた?

 

01-1. シンガポール・ロンドン 

前半戦のシンガポールとイギリスで死んだのは、英語だった。 

自分の英語が下手なのは分かっていたが、東大生だった私にはReferenceが東大生しかおらず、彼らのレベルが日本人としてはだいぶ高め安定であることもわかっていたので、結局、自分がどういうレベルなのかあまりよく分かっていなかった。東大志望者だけが受ける東大模試で英語偏差値37という記録を叩き出しても、全国統一模試では偏差値70を超えられるのが東大である。一般的な英語偏差値70の人が「あたし英語得意〜」とか能天気に言ってることを考えると、論理的に考えて偏差値70出せる私も得意の部類に入るはずである。ただちょっと数学や物理に比べて、戦闘力が半分くらいしかないだけだ。

...と思ってたのだけど。

まあまず、「このパンフもらっていいですか?」が言えなかった。詰みである。

何でもいいから「Can I」から言い始めて後は流れで考えよう、という処世術が身に着く頃にはフランスに到達してしまっていた。

シンガポールでは「君、University studentってほんと?英語が...(皆は言わないけど...という空気)」と言われたほどだ。私くらいで大学生レベルじゃないって言ってたら日本の大学生の9割はやべーぞ!!!まあほんとに日本人の英語はやばいし、私の英語もやばかったんだけどね。

 

01-2. フランス

フランスにはイギリスからユーロスター(鉄道)で入国した。陸路の入国審査は空路に比べるとゆるい雰囲気なのだが(ロシアは例外)、そのせいでフランス入国時は審査官がふざけるという憂き目に遭った。パスポートの写真は裸眼なのだが入国時にメガネをかけていたのだ。フランス人のおじさん審査官は「Uhh?同一人物かい?」みたいなことを言う。

まあ、あるあるジョークなような気もする。しかし0.5秒くらい、彼の中でアジア人の顔の解像度が低いせいでマジで分かんないのかと思ったのである。 

こちらは人生3度目の入国審査で慣れていないのだ。やめてほしい。

メガネを外してみせるくらいには真に受けた。

 

ちなみにフランス人は英語を話せないとか、英語で話しかけると怒るという都市伝説があるが、少なくとも2002年と2008年の観察においては嘘であった。というか日本人が欧州人に「英語話せない」とか言えた立場じゃないと思う。大体の人は軽く話せてたぞ。

 

01-3. オランダ・ベルギー

アムステルダムでは「おしゃれカフェに入ったのにパスタがまずい」という事態に直面した。ただ初海外、兼、所詮は20歳ということで、単に日本のファミレス的パスタからかけ離れたものを出されただけの可能性がある。記憶では麺柔らかめ、ナッツ多め、薄味、といったところだった。いつか再確認したいものである。

私はレンブラントが好きで、美術館では「夜警」などの巨大絵をめっちゃ長い間眺めていた。が、写真がない。このころの美術館は原則写真NGだったので、データが見つかっても写真は撮っていない可能性が高い。

アムステルダム駅は東京駅のモデルになった駅舎を持っている。初海外旅行なのでそこそこ感動したが、それよりも「駅周りのトイレは注射器を使う輩がいるから注意しろ」というとんでもない情報によりあまりじっくり見れなかった記憶がある。

 

この旅ではロンドン、パリ、アムステルダムブリュッセルと大都市ばかりを旅したのだが、以降の旅で訪れた「観光で食ってる街」は注射器の警告などもなく、安心してその場に居られた。安全って、観光地として栄えるのに必須の条件なのでは、などと思う。

事例調査 – 3Mを見てみる

以前の記事で、「イノベーション」「技術で世界を変える」「技術の事業化」について話してきた。そろそろ少し具体的な話がしたい。しかし真にイノベーティブな機会に恵まれなかった私の手元には、具体的な話の弾はない。(失敗事例ならたくさんあるが…)

成功事例を選んで分析することがセオリーだろう。「ケーススタディ」とか、「ベストプラクティス」とかいうやつだ。

だだ残念なことに私はこのやり方に懐疑的である。コンサルの方法論として頻出なのだが、役に立った経験がないのだ。と言うと語弊があって、「クライアントが要求する」という意味では十分役に立つ。つまり依頼費用分は十分な役割をこなしているし、「クライアントのご満足が全て」という意識低めの構えならそれでいいのだ。しかし自分の調査物も他人の調査物も、真の意味では踏み込みが足りないように感じる。調査対象がどうしてそのやり方をとったのかとか、どのような失敗を経てそこに行き着いたのかとか、といった一番重要なところが「調査」やビザスク程度の「ヒアリング」ではわからない。私からすると、そここそが一番重要な点であり、そこを片手落ちにしたままの論理展開に欺瞞を感じるのだ。なぜそこが一番重要かというと、それこそが、クライアントや私が「調査対象をどれくらい参考にしていいのか」を判断するための情報であるはずだからだ。

ケーススタディ系は手法論として有名になりすぎたので皆がなんとなく真似するのだが、本当に必要なスジ、押さえるべきポイントが実は非常に難しくて、世の中でこれをやってる連中の98%超がそこを分からないままポイントを外した調査資料を量産しているのではないかと思う。

さて、その「違う」感が具体的になんなのか自分でもよくわからないので、何が意味があって何が意味がないのか知るためにも、実際にやってみようと思う。

 

Reference資料 

3Mを調べることにした。「最もイノベーティブな会社であり続けること」をミッションに掲げており、かつ、私の関心が高い「化学・素材系」分野のメーカーだからである。

[1] 大久保孝俊「3Mで学んだニューロマネジメント」(日経BP
[2] 河合篤男 他「100年成長企業のマネジメント 3Mに学ぶ戦略駆動力の経営」(日本経済新聞出版社
[3] 日経ビジネス2019年1月7日号(P54-57) 「3M / 100年企業が示すオーガニックな成長」

(余談だが、「日経BP」と「日本経済新聞出版社」があるのか... )

 

この記事の前提

開始早々宣言だが、調査らしい調査は取りやめたのでそこには期待しないでいただきたい。

一応初手としては「調査」らしく本や記事を読み、Googleに先んじてとっくの昔から始めていた「15%ルール」と、元素の周期表を模したキャッチーかつ実用的な「技術プラットフォーム」でも語ろうかと思ったが、つまらなさが度を越しており1週間1記事と決めていた投稿ルールを破るところまで行ってしまったので、順当な「調査」は差し控えることにした。

(もちろん、15%ルールやプラットフォーム自体には面白い取り組みだと思うが、これを私がここに書いて何になるの?という)

ともあれせっかく書籍を読むところまでやったので、3Mは仕組みが有名な割に商品実例が弱い点に切り込もうと思う。

 

具体的なイノベーション

3Mが起こしたイノベーションの代表的な実例は、「ポストイット」である。

出現以前はどうしていたんだろうというくらいの商品なので紛れもなく革新的なのだが、3Mは接着剤専門の会社ではないのだからこれだけとは思えない。「技術プラットフォーム」と「15%ルール」の取り組みはかなり広範囲なので、却って「それだけ?」とすら思う。広範囲の取り組みがなされているのだから弾は大量にあるのではないかと思うが、化学系企業はB2CよりB2Bがメインであることが多いため、一般人に説明してもどうせわからんと思ってか、その大量の弾をざっと一覧化したような情報もない。

Reference[1][2]は書名の通りマネジメントについて説明する書籍であり、実例を紹介する目的では書かれていないのだが、イノベーションを起こすマネジメントの有効性を示すためにいくつか具体例が紹介されている。それを引用し、リスト化したのが下記Table 1だ。

Table1 3Mのイノベーションリスト

商品

時期(*1)

出所

耐水性研磨剤

 1921

[2]p83

マスキングテープ

 1925

[1]pxx(*2), [2]p87

セロファンテープ

 1930

[2]p90

屋根などの彩色用カラーフィルム

 1933

[2]p95

ゴム系接着剤

 1934

[2]p97 

交通標識の反射シート

 1934-40の間

 [1]p118, [2]p99,129

コンクリート補修剤

 1940−52の間

[2]p112

種まきテープ

 1940−52の間

[2]p112

ペンキ用顔料

 1940−52の間

[2]p112

繊維保護剤

 1956

[2]p120 

家庭用ナイロンたわし

 1958

[2]p120 

メンディングテープ

 1960

[2]p120

使い捨て防塵マスク

 1961

 [2]p120

車体グラフィック用フィルム

 1964

 [2]p125

カーテンなどの汚れ防止剤

 1967

 [2]p125

手術用除菌シート

 1947

 [2]p140

ポストイット

1968-1980

[2]p164-170

VHBテープ

 1980

 [2]p169_

デジタル医療用画像装置

 1984

 [2]p169

心臓不整脈治療剤

 1985

 [2]p169

反射シート(ダイヤモンドグレード)

 1989

 [2]p184

ガラス飛散防止フィルム

 1991

 [2]p184

*1) 西暦。また、「起源となる着想」「発明」「開発」「発売」などが混ざっている
*2) 引用ページ数失念。いつか思い出したら差し替える

 

Tableを作って思った。

結構あるな????

まあ創業100年以上の会社だし然もありなん。表作るのに当初想定の8倍くらい時間がかかった。必要な人は活用してほしいが、抜けや記載ミスのチェックが甘かったり、[1]と[2]で本当に同じ製品を表してるか分からないものがあったりするので、目的によっては注意されたい。

日本企業、自社についてこんなに書けるだろうか。Ref[1][2]が何を参照してこれほどの事例を記載できたのかは不明であるが、[2]の参考資料に「3Mの社史」がある。「イノベーティブな会社であること」をミッションにしている会社だし、社史に記載されているのかもしれない。

 

これだけあってなぜポストイットなのか

さて肝心のイノベーションの中身だが、やはり

素人には分からないと思って情報を絞っているな

というのが第一印象。少し調べれば明記されているが、3MはB2Bの会社らしい。確かに、Table 1(イノベーションリスト)を見るとより一層その印象が増す。台所のスポンジやセロハンテープから連想してしまうと消費財メーカーのように感じるが、リストを見ると、自動車製造工場、公共交通機関、官公庁(土木系)が主な顧客のようだ。

他商品のエピソードも拝読する限りポストイットが特別に典型的なイノベーションであったわけではない。にも関わらずポストイット一人勝ち状態で語られるのは、Before-Afterの変化などが素人にもわかりやすいことから宣伝用に選ばれていると思われる。こうなるともはやブランディングの意図が大きい。技術者が参考にするには「ポストイット」はサンプルが悪いように思う。

 

この辺で調査を締める=結論を出すとどうなるか

私が知りたいのは「3Mのように巨大化してもイノベーション志向を絶やさない会社をどうやって作るか」「3Mのような素材系企業がイノベーションを起こし続けるのはどうやればいいのか」なので、ここで調査を締めるとしたら、3Mがなぜ伸びてきたか、イノベーションの火を絶やさずに来たかをみなければならない。

・なぜ伸びたか:自動車市場の隆盛に乗ってきた(自動車工場、道路)
・何がイノベーションの元と考えているか:徹底した顧客・現場主義

これを現在(2021年)に真似しようと思ったら、こうなる。

・現代の伸び盛り市場に乗れると良い
・つまり、医療市場の隆盛に乗る
・加えて、マネジメントが優れてるからそれを真似しよう

すごい。急下降急落下でつまらなくなったし苦労して表作った意味ない感満載だ。世界中で医療業界を除いても500社くらいは似たようなことを言ってるであろう。ある意味すごい発見である。なぜだ。

今回は調査としてはReferenceの数も少ないし、Referenceの外から情報を補完できるような経験も少ない。こういう状態で結論らしい結論を急いで出そうとすると、どこかで聞いたことのあるものになってしまうようだ。なるほどリサーチャーやコンサルタントの「調査」がイマイチなのはそのせいだろう。

私自身は、情報に対して「なるほど」つまり「できそうだ」を求めている。「できそうだ」とは「やってる人がいなさそう」つまり「ありがちではない」なので、調査結果が「どこかで聞いたもの」になってしまう現時点では、「やっぱ調査はイマイチだな」というのが正直な感想だ。こういう調査は、いつか「なるほど」を生み出すための基礎知識として蓄積していくのが正しい使い方かもしれない。意外と、3MがB2Bの会社だとか、知らなかったりするし。

 

やってみての所感(1)物量を増やせばいいものができるかも

実は、「3M 研究開発」とGoogle検索するだけで論文がいくつかヒットした。論文といっても専門のJournalに載っているようなものではなかったが、卒業論文シンクタンクの発行物としては十分にテーマ性が強いようだ。すると市場(?)が存在するということで、きっとImpact Factorの高い名記事・名論文があるのだと思うが、どれがそうなのか分からなかった。全て読んでみて「信憑性が高いor分析が見事なのはこの論文である」と結論づけるにも十分な時間を持てなかった。

というわけで、誰もまともな調査・分析をやらない理由は、「研究」に近づいてくるからであろうと感じた。海外から招聘した経済学教授の持ちテーマとして通用するレベルかもしれない。つまり一般的なコンサルタント、リサーチャー、あるいはメーカー企画部門が持たされている金額や時間制限に対してできる範囲を超えているのだ。時間をかければ冒頭に挙げた「調査対象がどうしてそのやり方をとったのかとか、どのような失敗を経てそこに行き着いたのかとか、といった一番重要なところ」に近づけるかもしれない。

 

やってみての所感(2)調査というからにはこれくらいやりたい

研究開発はその性質上、超絶当たりが1商品あれば、やや当たり20や不発100や名前を言ってはいけないあの人ばりに忌み嫌われた大失敗5が含まれているはずだが(数は適当)、研究開発の取り組みとその当たり外れを網羅した情報は流石に手に入れられない。手に入れられないどころか、社内秘資料としてもまず存在しないだろう。(と言いつつ、Referenceの2書籍を読んだ印象だと、3Mなら成功失敗一覧を作っている可能性がある。が、手に入らないことに変わりはない)

なので、3Mが類似の他社に対して、
・走っている研究テーマの数が多いのか?
・研究テーマにかけるリソースが潤沢なのか?
・判断が早いつまりテーマCloseまでの時間が短いのか?
・当たりの打率が高いのか?
不明である。

さらに実のところ、
・そもそも3Mが類似の他社に比べイノベーティブな商品を多くリリースしているのか?
が不明である。

Referenceは2つとも「仕組み」「カルチャー」「実績数」から「当然他社よりイノベーティブ製品が多い」として書かれているが、これは決して「比較」ではない。この辺が「調査」の限界だと思う。

Reference2には、イノベーション率をKPIに組み込まれた結果「既存製品をちょろっと改善しただけの名ばかり新規製品」を出して満足してしまう病理について書かれていた。つまり、「イノベーティブな製品とは何か」という難題を投げかけている。個人的にも、特許出願件数をノルマにされるとなんの思い入れもヒネリもない、文字通り毛を生やしただけの(有機化学分野の人はわかると思う。炭素の鎖をくっつけたり伸ばしたりするということ。マジで毛を生やすだけ)特許を生み出してしまう病理を体験したことがあり、まあそうだろうなという感想だ。

これはつまり、「特許件数」や、自主的な申し出の「新規製品数」は扱う数値として怪しいということだ。複数社のイノベーション例と仕組みを並べて見たほうがいいのかもしれない。パッと思いつくのはこの辺りだ。

3点中2点はノーベル化学賞・物理学賞を受賞した研究だ。こうなるとノーベル化学賞・物理学賞を徹底的に整理するのも一手かもしれない。そういえば、意外とそのような情報は見ない気がする。