(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

世界を歩く(1) 西欧

イノベーションとか化学とか新規事業とかだけで毎週記事を書くことに限界を感じたので、軽めの題材を差し込むことにした。

20年間、全1627カ国の海外旅行記録である。

インスタ向けのいい写真は撮っていないが、考えたことはいろいろあるので、写真を差し込みながらブログに表現できたらと思っている。

仕事(海外出張)は対象から外しており、すべてプライベートでの写真・出来事だ。

 

海外旅行第01回「西欧」

地方民の私には修学旅行なんてものはなく(なかなか信じてもらえないが、高校の修学旅行はマジでない。自治体が超高齢化で若者にかける金がないからである)、また、親が休みなき医師だったので家族旅行自体なく、家族で海外なんて以ての外であった。というわけで初めての海外は大学入学後、2002年、シンガポール経由のイギリス・ロンドンだった。さらにドーバー海峡を渡り、フランス、ベルギー、オランダを旅した。

この回は写真が残っていないので写真から旅行らしいエピソードを記憶から引き出すことができず、謎エッセイになった。デジカメが流行り始めるかどうかの微妙な時期だが一応コンデジは持っていて、ロンドンのダブルデッカー(赤い2階建てバス)とか撮りまくった記憶があるのだが、データはどこへ消えた?

 

01-1. シンガポール・ロンドン 

前半戦のシンガポールとイギリスで死んだのは、英語だった。 

自分の英語が下手なのは分かっていたが、東大生だった私にはReferenceが東大生しかおらず、彼らのレベルが日本人としてはだいぶ高め安定であることもわかっていたので、結局、自分がどういうレベルなのかあまりよく分かっていなかった。東大志望者だけが受ける東大模試で英語偏差値37という記録を叩き出しても、全国統一模試では偏差値70を超えられるのが東大である。一般的な英語偏差値70の人が「あたし英語得意〜」とか能天気に言ってることを考えると、論理的に考えて偏差値70出せる私も得意の部類に入るはずである。ただちょっと数学や物理に比べて、戦闘力が半分くらいしかないだけだ。

...と思ってたのだけど。

まあまず、「このパンフもらっていいですか?」が言えなかった。詰みである。

何でもいいから「Can I」から言い始めて後は流れで考えよう、という処世術が身に着く頃にはフランスに到達してしまっていた。

シンガポールでは「君、University studentってほんと?英語が...(皆は言わないけど...という空気)」と言われたほどだ。私くらいで大学生レベルじゃないって言ってたら日本の大学生の9割はやべーぞ!!!まあほんとに日本人の英語はやばいし、私の英語もやばかったんだけどね。

 

01-2. フランス

フランスにはイギリスからユーロスター(鉄道)で入国した。陸路の入国審査は空路に比べるとゆるい雰囲気なのだが(ロシアは例外)、そのせいでフランス入国時は審査官がふざけるという憂き目に遭った。パスポートの写真は裸眼なのだが入国時にメガネをかけていたのだ。フランス人のおじさん審査官は「Uhh?同一人物かい?」みたいなことを言う。

まあ、あるあるジョークなような気もする。しかし0.5秒くらい、彼の中でアジア人の顔の解像度が低いせいでマジで分かんないのかと思ったのである。 

こちらは人生3度目の入国審査で慣れていないのだ。やめてほしい。

メガネを外してみせるくらいには真に受けた。

 

ちなみにフランス人は英語を話せないとか、英語で話しかけると怒るという都市伝説があるが、少なくとも2002年と2008年の観察においては嘘であった。というか日本人が欧州人に「英語話せない」とか言えた立場じゃないと思う。大体の人は軽く話せてたぞ。

 

01-3. オランダ・ベルギー

アムステルダムでは「おしゃれカフェに入ったのにパスタがまずい」という事態に直面した。ただ初海外、兼、所詮は20歳ということで、単に日本のファミレス的パスタからかけ離れたものを出されただけの可能性がある。記憶では麺柔らかめ、ナッツ多め、薄味、といったところだった。いつか再確認したいものである。

私はレンブラントが好きで、美術館では「夜警」などの巨大絵をめっちゃ長い間眺めていた。が、写真がない。このころの美術館は原則写真NGだったので、データが見つかっても写真は撮っていない可能性が高い。

アムステルダム駅は東京駅のモデルになった駅舎を持っている。初海外旅行なのでそこそこ感動したが、それよりも「駅周りのトイレは注射器を使う輩がいるから注意しろ」というとんでもない情報によりあまりじっくり見れなかった記憶がある。

 

この旅ではロンドン、パリ、アムステルダムブリュッセルと大都市ばかりを旅したのだが、以降の旅で訪れた「観光で食ってる街」は注射器の警告などもなく、安心してその場に居られた。安全って、観光地として栄えるのに必須の条件なのでは、などと思う。