(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

技術者が19世紀にタイムスリップしたら

技術や自然科学は純粋にロジカルなものだと思っている人が多いが、実はそうではない。17世紀ヨーロッパで起こった天動説から地動説への移行など、歴史を学ぶ中学生のシンプルな頭では、「賢く正しい地動説派が圧倒的なロジックで天動説派を説得・駆逐した」ように聞こえるが、実態は「世代交代とともに天動説派が勢いを失っていった」らしい。天動説派のおじさん達は死ぬまで新学説を認めなかったのだ。そう聞くと、いかにも現在でもありそうな話ではないか。今現在(2021年)の学説も、当たり前に最も効率がいいと思われている技術システムも、実は何かしらの歴史やしがらみを背負っていて、論理的に正しくなかったり、効率が悪かったりするかもしれない。

 

例えば発電・送電システム

エジソンが、火力発電所と、そこで作った電気を街灯や家庭に配電するモデルをリリースしたのは19世紀末のことである。つまり、巨大な発電所で電気を作り配電するモデルは、19世紀の人権意識や技術レベルに合わせた体系である。

私たちはこの巨大なインフラ・システムを自明の理として享受している。結果として原子力を太陽光・風力に置き換えること一つとっても、原子力並みの大量発電規模を再生可能エネルギーに求める。再生可能エネルギー自体が、もともとそういう性質のものではないのに。

 

例えば「大量生産でないと効率が悪い」こと

フォードがT型フォードを大量生産ラインに載せたのも、エジソンの火力発電所と同様に19世紀末のことである。製造業は、その後しばらくはアメリカの天下が続いたが、現在では「世界の工場」が世界を転々とする有様である。

先日、アメリカの小説を読んだ。かつてアメリカの自転車メーカーに勤めていたアメリカ人の営業が、アメリカのIT企業の売り込みの手伝いをする話だった。このアメリカ人営業(50代)の思考は、かつて輝いていた自社・自国が中国にコスト競争で負けてしまった遣る瀬無さと、勝者である中国への敵意に満ちていた。日本の製造業全盛期を通ったおじさんたちのメンタリティとほぼ同一である。驚いた。考えてみると当たり前だが、アメリカ人とて全員がGAFAに乗り換えて前を向いているわけではないのだ。(余談だが、日本はアメリカ人視点では視野にないという現実も見えてしまった)

https://www.amazon.co.jp/dp/B01N4G04M8/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

この小説では「世界の工場」は中国だった。しかし、そもそも「世界の工場」は永続的な仕組みなのか。中国からベトナムに移っただの、今度はアフリカに移るから大陸ごとビジネスチャンスがあるだの、最後はどこに移るんだ。火星か。

火星には労働力がないのでロボティクスなどが台頭しているのだろうが、それでもなおそのロボットのメンテだとか物流だとかにおいて、「誰か安い労働者を使う」という前提から抜け出せてない。そして先進国の我々は、自分はその「安い労働者」ではないと思っている。そのくせ安い労働力を提供する国を「悪」とする価値観まで育て、あるある思考として多勢と共有してしまう。

 

なぜ維持されるか

発電・送電システムも、製造業の大量生産システムも、技術的・コスト的に最適だと考えられている。前述の小説でも、製造業が最後はコスト競争になるのは「避けられぬ原理原則」のように語られていた。しかし、それ、本当だろうか。アメリカで児童労働が当たり前に行われていた頃、反対運動に対してアメリカの財界は「児童労働を止めたら経済が立ち回らない」と言ったらしい。2021年センスでは、どこぞのCEOがそんなことを口走ろうものならSNS大炎上と株価大暴落である。世界の工場の取り合いも、2070年センスで見直すと、「何言ってんだこいつ?」になっている可能性がある。

技術はあらゆる分野で19世紀からかなり進化している。生産性が何倍になったとかそんなレベルではないほどに。しかし、なにぶん、乗っかっているシステムの土台が19世紀センスである。19世紀なら、途上国の児童労働やら国家間格差どころか、自国内の児童労働も植民地運用も当たり前である。その基礎の上に建てたシステムなのだから、そりゃどこかに安い労働力がないと成り立たない。

それでも現在のシステムが壊れないのは、「そのシステムで得する人が多いから」であろう。既得権益は分かりやすい金持ち・権力者・悪人だけが持つのではなく、我々先進国の国民も持ってしまっている。

個人的に、どうも先進国企業はそのあたりの認識がぬるすぎるように感じる。電化率が低い地域にささやかな発電機とバッテリーを届けて文明化を助けることも大いに結構だが、皆、その姿を、写真を見て何か違和感を持たないのだろうか?正直私の目には、貴族の趣味かお遊びのようで若干グロテスクにすら映る。なぜ貧しい国は貴族(しかも無自覚)のおこぼれを待たねばならないのか。

 

そこに挑戦してこその技術革新

こうした「無意識の前提」を全て亡き者にできるのが技術革新の強みである。

19世紀末から100年以上経っている。現在のセンスと技術で全ての既得権益を棄却した新モデルを確立できれば、大量生産のために搾取される労働力のない世界を作り出せるのではないか。これが現実化したら、ついでに災害時に寸断されるインフラも物流もなくなると思う。

現代の発明家が現代の技術を持って19世紀にタイムスリップしたら、エジソンやフォードに対してどう戦うか?どんなシステムを打ち立てるか?

これはつまり、いま、2021年に、歴史を背負わず既得権益者がこの世にゼロだった場合に、どの手を打つかということだ。

進路として一度でも理系を志したからには、これくらいの挑戦はしたいものである。