(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

オープンイノベーションのコミュニケーションロス

私は、イノベーションとかオープンイノベーションとかいったものに関心がある。

一方で、四畳半で暮らしたりコストカットしまくりのガレージに閉じこもるのは好きではない。昨今のオシャレなオフィスが好きだし、そういう空間では柔軟なアイディアが生まれやすいという説も支持している。

しかし、いつも顔を合わせない人が顔を合わせるだけの「場づくり」をすればイノベーションが起こるとふんわり期待するのは、筋が悪いと思う。

つまり私は、イノベーションも、カッコいいオフィスもそこで仕事することも大好きだが、そういう場があればイノベーションが起こるとも思っていない。

 

「場」を乱立させて期待外れも乱立した結果、「オープンイノベーション」は若干流行りが過ぎ去った感もあるが、「他社との連携」に望みを賭ける流れはまだ残っていると思う。

他社との連携。難しい。何しろ企業は無数にある。

 

コミュニケーションの難しさ

話は180度変わるが、一人旅をしていると、たまに暇で陽キャなコミュ強が話しかけてくる。それは海外も国内も変わらない。

北海道でこのように聞かれたことがある。

「どういうルートで来たの?」

おじいさん手前のおじさんだったが、そこは北海道。話し方はチャキチャキしており、方言もなく聞き取りやすかった。会話はこう続いた。

私「そこの国道から・・・」

おじさん「そうじゃなくて、ルート」

私(ルート・・・?)「飛行機で・・・?」

おじさん「そうじゃなくて、」

私(ルート????)「帯広空港からレンタカーで・・・?」

おじさん「そうじゃなくて、パソコンで?」

私(パソコン・・・・?)

 

なんと、おじさんが聞きたかった「ルート」とは、「予約の方法」であった。

私には「ルート」という言葉から「どこの旅行代理店を使ったか」とか「PCを使ったのか、電話か、対面か」というイメージは持てなかった。正直、正解がわかった今でも疑問である。英語で、正しい発音がわからないせいで重要な単語が相手に伝わらないことがあるが、そのシーン並みの苦戦だった。

言語コミュニケーションとは、外国語でなくても、方言の壁がなくても、こんなもんだ。

 

なぜイノベーションと題しておきながらこんな話をしたかというと、技術畑や所属企業が違う者が集まると、似たことが起こるのだ。こんな日常会話でこれだ。「ルート」よろしく、「量産化」「商品化」とか、「研究」「開発」「設計」とか、「技術」「実験」「実証実験」とか、ブレにブレる。

先日「正しいものを正しくつくる」という書籍を読んだら、純度100%ソフトウェア開発の話で度肝を抜かれた。化学畑視点では、「ものを」「つくる」ならもう少しハード開発、素材開発にも言及しているものだと思ったのだ。副題に含まれる「アジャイル開発」から察せねばならなかったのだろうが、「アジャイル開発」の定義だけ見ればソフトウェアに限らないようにも読み取れる。業界が遠いとこういうことが起こる。

さらに、私が前段落で説明のために発した「ハード開発」という言葉も危険だ。私は機械系的な意味合いでのハードウェア開発には縁がない。ただ化学系薬液はソフトウェアではないので、「ものをつくるといえば今どきソフトウェアに決まってる」と考えていそうな相手には、「非ソフトウェア」という意味合いで「やりたいのはハード」と説明することがある。ブレブレである。が、アプリ開発にご執心な人にソフトウェアをやりたいと思われるよりは被害が少ない。

こうやって、ブレにブレが重なる。

 

ちなみに本節冒頭の「陽キャなコミュ強」とは「陽なキャラクターのコミュニケーション強者」の略で、もっと言い換えると、「根が明るいマインドを持ちコミュニケーション力が高い人」という意味である。年齢が近い人に「陽キャ」が通じなかったことがあるので書き添えておく。

 

企業マッチング「実行中」のコミュニケーションギャップ

他社との連携、つまり企業間連携に戻る。企業間連携について、「御社に合った企業をマッチングします」というサービスはいくつか見聞きしたが、マッチング後のサービスはほとんど見たことがない。明言しているのは企業再生系ファームくらいではないだろうか。

マッチング後の課題はマッチング前の課題と同じくらいあるはずだ。経営と若手はやる気だが中間管理職はやる気がないだとか、2社のカルチャーや業務プロセスが違いすぎてどうのこうのだとか、いろいろあり得る。そういう話は、マッキンゼーの7Sあたりを使ってどこかのコンサルティングファームが説明・提案してくれると思うので、割愛する。

mba.globis.ac.jp

ここでは趣向を変えて、「技術的なマッチングが実は行われていない」ことに注目してみたい。仮に大きな問題を乗り越えて、NDAだとか、M&Aだとか、法律的・組織的なマッチングが執り行われたとしても、イノベーションを起こすための大前提、「技術的交流」が行われない可能性がある、ということだ。

原因は、ルートおじさんよろしく、コミュニケーションロスだ。

マッチングした2社の技術分野が異なる場合、技術や研究には3つのギャップがある。

 (1) 常識言語の違い
 (2) 初手の違い
 (3) 誤差の違い 

 そのギャップが具体的にどんな混乱を起こすのか実例を紹介したい。紹介するのは必ずしも企業間連携の現場で起こった問題だけではなく、自社と顧客の間に発生した問題も含む。

ギャップ(1)常識言語の違い

社会人になって一番驚いたやつ。

企業の研究所に属していた私は、実験操作をオペレーターに頼むことがあった。この台詞は、オペレーターの人が「Å」の文字を見て「これはなんですか?」と聞いたことについて、先輩社員が評した言葉だ。もちろん先輩は、その場では親切に説明していた。それくらい親切な人だが、オペレーターが席を外した瞬間にこの台詞をこぼした。悪意ではなく、本当に「日本の成人なのにÅがわからない」ことが信じられなかったのだと思う。私からすれば「nm」も「オングストローム」も忘れるのは当たり前だと思え、先輩は人類に期待しすぎな気がした。

ちなみに、Å(オングストローム)は長さの単位である。nm(ナノメートル)の10分の1で、nmはmmの1,000,000分の1である。普段の生活でnm単位の物事を考えるのでなければ、説明されてもよく分からない、が正直なところだろう。私がオペレーターだったら質問しないと思う。分からなくても作業はできるからだ。 なので質問したオペレーターはむしろ勉強熱心と言える。

技術営業になって一番驚いたやつ。

技術営業として働いていた私は、商材である薬液の機序を顧客に説明する必要があった。機序において重要なのは化合物の構造である。真面目な上司はベンゼン環(化学で出てくる六角形)も駆使して正確な情報を伝えていた。真面目な顧客はそれをノートに書き写していた。ところで私がいた分野では、技術営業が相手にする顧客は機械や電気の畑の人である。おそらく六角形に思い入れがない顧客は、ベンゼン環を四角形に略して書き写していた。

真面目な上司は、それにショックを受けてしまった。

ベンゼン環を四角で書いていた

この世の終わりかのような反応である。

しかしながら。私は当時の顧客の肩を持ちたい。私も「トルク」の定義も忘れていれば、普段どういうシーンで「トルク」を使うのかも知らない。電気回路なんて忘れた単語の例も出せないくらい忘れてるので、化学系でない人ならベンゼン環もそりゃー忘れる(というか覚える気もない)だろうと思う。上司もまた、人類に期待しすぎである。

 

ちなみに私は簡略化が好きで労働とホワイトボードが嫌いだ。同様にノートに板書を書き写すことも嫌いなので、そもそも説明時に六角形を書かない。四角でも書き写した顧客は、本当に真摯で真面目だったと思う。

 

  • 「メカ」「電気」「ソフト」

化学系メーカーからコンサルに移って一番驚いたやつ。「物理」「化学」「生物」並みの学問的常識という勢いで使われる。自動車・重電などのメーカーでは実際に常識であり、コンサル業界のクライアントとしてその分野が強すぎるせいで「メーカーでは常識」扱いになっているのだが、化学系では常識ではない。常識すぎてどこにも書いてないし、メーカー上がりのコンサルつまづきあるあるでもない(ほとんどはこれが常識の分野から転職してくるから)。そのせいで、「電気」と「ソフト」が並列だと気づくのに1年以上かかった。

意味は言葉の通り、機械設計、電気設計、ソフトウェア設計、のように分野を表すようだ。(言葉の通りだが、初めて「メカ」と聞いた時、ふざけてんのかな?と思った。なんで「電気」なのに「機械」じゃないんだよ)

この話、関係のない方はふーん、だろうが、コンサルとしての私を知ってる人はビビると思う。周囲の似た経歴の人を気にかけてみてほしい。実はそこがわかってないかもしれない。

 

ギャップ(2)初手の違い

再現実験。

これを見て意味がわかる人は化学や生物学の素養がある人だと思う。当たり前すぎて、意味を問われたら不安になるレベルであろう。しかし私が知る限り、機械系の人はこの言葉を認識していないか、使いどころがわからない様子だ。

私が「再現実験」が理系の常識ではないことに気づいたのは、機械系の会社向けのプロジェクトについてアドバイスを求められた時だった。

その会社はある装置を作ることに長けており、その装置は使いようによっては殺菌・滅菌の機能を持つことから、殺菌業界(?)に手を伸ばそうとしていた。

私への依頼は、「このような新規事業を検討していて、検討のための基礎実験を終えた。期待した殺菌作用が見られないのだが実験の仕方が悪いのか、殺菌作用がないと結論づけるべきか。実験結果の見方をアドバイスしてくれ」というものだった。

これは結論から言うと、化学系の私から見るとあまりにも常識はずれだったのでどこから説明する必要があるのか分からず、良いアドバイスはできなかった。

担当者は、殺菌作用が期待できる液を作り、買った菌に暴露させていた。液を作ってから暴露させるまでの時間はどれくらいかと聞けば、一晩寝かしたこともあるし、混ぜてすぐ暴露させたこともあるという。頭が痛い。もうこの時点で実験として成り立っていない。

さて、一晩から数十秒まで条件をバラバラにして、しかも記録せずに平気でいる神経はどこからくるのかと思い、そもそも殺菌の機序はどういう仮説なのか?と聞けば、要するにラジカルだという。ラジカルを対象にした実験で、液を手で混ぜて、混ぜた液を菌に暴露させる。その発想が私にはなかった。ラジカルって人間が暮らす大気条件では秒を待たず消えちゃうと思っているのだけど、ここはあまりにも理解できない事態で自分がおかしいのかもしれないと疑っているので、当分野に詳しい方のツッコミがあればぜひお聞きしたい。

 

さてアドバイスの件に戻ると、ここまできてやっと察した。この会社は、論文か特許を参考に実験をしていたのに、そもそも再現実験を行っていなかったのである。

化学や生物学の素養のある人は「意味がわからん」と思うだろう。(常識はずれすぎるから)

素養がない人も「意味がわからん」と思うだろう。(なんの話かわからないから)

 

再現実験とは、御社の優れた薬液なり装置なりを試す前に、「論文・特許に書かれた通りのことをやって、書かれた通りの結果が出るか確認する」実験である。操作のスピードや実験室の温度・湿度、実験器具など、実験結果に思わぬ影響を及ぼす条件はたくさんあるので、御社の優れた製品を試す前に(大事なことなので2回言う)、悪さをしない条件を整えるのだ。これだけで全実験時間の9割を食うことだってあるし、書いてある通りにやっても再現させられず数ヶ月食うことだってある。

私が受けた相談の件、該当の会社は工場に納める装置を作る会社だったから、担当者の専攻はおそらく機械系だったと思う。彼らは三次元的にモノがハマるよう設計をするのが任務だ。「再現実験」がどの分野まで常識なのかわからないが、機械系のその担当者が、細菌を扱う上での常識を備えていないことは想像できた。

私は「再現実験」を誰から教わったか記憶にないくらい「研究」「開発」「実験」における常識と思っていたが、学生時代に講義で学んだのか、あるいは研究室で先輩が毎週のように「再現しない」という報告をしていたからか、とにかく、知らないうちに誰かから教えられていたのだ。

 

化学系の視点として書いたので、機械系の人からすれば反論もあると思う。しかしこれは「こんなバカな話があった」という話ではない。これくらい常識にギャップがあるということが重要なのだ。再現実験はある種の分野にとって常識オブ常識だから、ググってもおそらく出てこない。常識なのに、雇ったコンサルが私に「化学系だから」という雑極まりない依頼をするまで、誰も気づかなかったのだ。私はそのプロジェクトに関係がなかったから、そのコンサルの雑な思いつきと依頼がなければ、最後まで誰も気づかなかったと思う。

 

既存事業が立ち行かなくなり多角化を検討する企業は多い。機械系企業が医療市場の発展に乗っかりたがるように、化学系企業も、センサーだとかIoTだとかで単なる素材サプライヤーの地位から抜け出したがる。ここでは機械系企業の失敗を紹介したが、化学系企業も同じように、機械・電気系での常識をすっ飛ばして1円にもならない実験をしてしまっている可能性は高い。なにしろ、化学実験の初手が再現実験であることは私の常識だが、私は機械設計や電気設計の初手がなんなのか知らないのだ。

 

ギャップ(3)誤差の違い

大学時代、同級生の間で「23割当たり前」というフレーズが流行った。専攻の教授が講義中に言っていたものである。私の専攻は化学工学である。熱力学か、プロセス工学か、そのあたりの学問では、3割の実験誤差は当たり前にあるという意味であった。

誤差が3割か、またはそれ以上あるだろうと思える分野に、生物学がある。細胞がどんな風に増殖したり巨大化するか、完璧な予測はつかない。細胞培養を行う人達は、何日でシャーレ上の細胞が2倍になるかだいたい見当をつけているが、秒単位はおろか、分単位・時間単位でも当てることはできない。もちろん彼らは、温度・湿度・培養液の濃度を注意深く一定に保ち、同じ状態を再現しようとするのだが、シャーレの上の模様は毎回違うものになる。生物学系の研究室では、シャーレ上の細胞の模様を「顔」と呼んだりするらしい。いい感じの「顔」とよくない感じの「顔」があるのだ。アートか。

逆に誤差が小さいのは物理学だ。さらに、理論のみを扱うならば誤差は存在しない。

有機化学は物理学よりは誤差が大きいが、熱力学やプロセス工学よりは誤差が小さい。

という感じで考えた時、ざっくり、学問別の誤差の大きさは以下のようになる。

 

数学<物理学<化学<分子生物学<生物学<医学・生理学<<<<社会学

 

外乱から受ける影響が大きいほど、誤差は大きくなる。社会学に至っては全く同じ条件から生まれた同じ社会を用意できないので、誤差という概念がなくなるのでないだろうか。(※文系の友達が少ないので定かではない)

前述の「初手」のエピソードと同じく、オープンイノベーションで手を組んだ時、この認識がずれていると話が崩れていくのではないかと思う。具体的な問題を見聞きしたことはないが、実験をしたならもう答えはわかってるじゃんと思う「誤差小」部族と、N=1(実験1回)じゃ何も確実なことは言えないだろと思う「誤差大」部族がコラボレーションしたら、妙な噛み合わなさが発揮されることは想像に難くない。

 

で、どうするか

実のところ、「広い技術分野を見てきた私がファシリテーターやりますよ」という手前味噌っぽい話で締めくくるくらいしかオチがない。しかしそれでは芸がないので、もう一段掘り下げておく。

今後圧倒的な技術的革新をもたらす商品は、微小な「分子」から巨大な「ハコ(デバイスとか装置とか建造物)」まで全てが新しいはずだ。しかし今日の技術は複雑になっており、細分化されている。分子の専門家と巨大な建造物を作る専門家の話は噛み合わず、「全てが新しい」モノを生み出すプロセスを制御できない。

噛み合わない議論を収拾つけ、商品化・事業化プロセスを制御していく存在を、新しい職業として成り立たせるべきと考えている。「エバンジェリスト」「ファシリテーター」のようなものだ。

www.hrpro.co.jp

「他分野と話ができる研究者・技術者はいるし、優秀な研究者・技術者はそうあるべき」という反論もあろう。しかしその期待は際限がない。古来より、理系は文系に「営業は多少の技術の話くらいできるべき」と期待し、文系は理系に「研究者も多少の営業くらいこなすべき」と思っている。もちろんそのようなスーパー営業とスーパー研究者のどちらかがいれば助かるが、そんな期待をして待っているようではやたらと営業の声だけがでかい怪しい会社か、やたらオタクっぽい怪しい会社で終わるのが関の山である。エバンジェリストがいなければ、マイクロソフトは小難しいことを言っているオタク会社から脱することができなかったはずなのだ。