(元)リケジョのポスト

元企業研究員の元リケジョが、技術革新型イノベーションを諦められない話

技術者が19世紀にタイムスリップしたら

技術や自然科学は純粋にロジカルなものだと思っている人が多いが、実はそうではない。17世紀ヨーロッパで起こった天動説から地動説への移行など、歴史を学ぶ中学生のシンプルな頭では、「賢く正しい地動説派が圧倒的なロジックで天動説派を説得・駆逐した」ように聞こえるが、実態は「世代交代とともに天動説派が勢いを失っていった」らしい。天動説派のおじさん達は死ぬまで新学説を認めなかったのだ。そう聞くと、いかにも現在でもありそうな話ではないか。今現在(2021年)の学説も、当たり前に最も効率がいいと思われている技術システムも、実は何かしらの歴史やしがらみを背負っていて、論理的に正しくなかったり、効率が悪かったりするかもしれない。

 

例えば発電・送電システム

エジソンが、火力発電所と、そこで作った電気を街灯や家庭に配電するモデルをリリースしたのは19世紀末のことである。つまり、巨大な発電所で電気を作り配電するモデルは、19世紀の人権意識や技術レベルに合わせた体系である。

私たちはこの巨大なインフラ・システムを自明の理として享受している。結果として原子力を太陽光・風力に置き換えること一つとっても、原子力並みの大量発電規模を再生可能エネルギーに求める。再生可能エネルギー自体が、もともとそういう性質のものではないのに。

 

例えば「大量生産でないと効率が悪い」こと

フォードがT型フォードを大量生産ラインに載せたのも、エジソンの火力発電所と同様に19世紀末のことである。製造業は、その後しばらくはアメリカの天下が続いたが、現在では「世界の工場」が世界を転々とする有様である。

先日、アメリカの小説を読んだ。かつてアメリカの自転車メーカーに勤めていたアメリカ人の営業が、アメリカのIT企業の売り込みの手伝いをする話だった。このアメリカ人営業(50代)の思考は、かつて輝いていた自社・自国が中国にコスト競争で負けてしまった遣る瀬無さと、勝者である中国への敵意に満ちていた。日本の製造業全盛期を通ったおじさんたちのメンタリティとほぼ同一である。驚いた。考えてみると当たり前だが、アメリカ人とて全員がGAFAに乗り換えて前を向いているわけではないのだ。(余談だが、日本はアメリカ人視点では視野にないという現実も見えてしまった)

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この小説では「世界の工場」は中国だった。しかし、そもそも「世界の工場」は永続的な仕組みなのか。中国からベトナムに移っただの、今度はアフリカに移るから大陸ごとビジネスチャンスがあるだの、最後はどこに移るんだ。火星か。

火星には労働力がないのでロボティクスなどが台頭しているのだろうが、それでもなおそのロボットのメンテだとか物流だとかにおいて、「誰か安い労働者を使う」という前提から抜け出せてない。そして先進国の我々は、自分はその「安い労働者」ではないと思っている。そのくせ安い労働力を提供する国を「悪」とする価値観まで育て、あるある思考として多勢と共有してしまう。

 

なぜ維持されるか

発電・送電システムも、製造業の大量生産システムも、技術的・コスト的に最適だと考えられている。前述の小説でも、製造業が最後はコスト競争になるのは「避けられぬ原理原則」のように語られていた。しかし、それ、本当だろうか。アメリカで児童労働が当たり前に行われていた頃、反対運動に対してアメリカの財界は「児童労働を止めたら経済が立ち回らない」と言ったらしい。2021年センスでは、どこぞのCEOがそんなことを口走ろうものならSNS大炎上と株価大暴落である。世界の工場の取り合いも、2070年センスで見直すと、「何言ってんだこいつ?」になっている可能性がある。

技術はあらゆる分野で19世紀からかなり進化している。生産性が何倍になったとかそんなレベルではないほどに。しかし、なにぶん、乗っかっているシステムの土台が19世紀センスである。19世紀なら、途上国の児童労働やら国家間格差どころか、自国内の児童労働も植民地運用も当たり前である。その基礎の上に建てたシステムなのだから、そりゃどこかに安い労働力がないと成り立たない。

それでも現在のシステムが壊れないのは、「そのシステムで得する人が多いから」であろう。既得権益は分かりやすい金持ち・権力者・悪人だけが持つのではなく、我々先進国の国民も持ってしまっている。

個人的に、どうも先進国企業はそのあたりの認識がぬるすぎるように感じる。電化率が低い地域にささやかな発電機とバッテリーを届けて文明化を助けることも大いに結構だが、皆、その姿を、写真を見て何か違和感を持たないのだろうか?正直私の目には、貴族の趣味かお遊びのようで若干グロテスクにすら映る。なぜ貧しい国は貴族(しかも無自覚)のおこぼれを待たねばならないのか。

 

そこに挑戦してこその技術革新

こうした「無意識の前提」を全て亡き者にできるのが技術革新の強みである。

19世紀末から100年以上経っている。現在のセンスと技術で全ての既得権益を棄却した新モデルを確立できれば、大量生産のために搾取される労働力のない世界を作り出せるのではないか。これが現実化したら、ついでに災害時に寸断されるインフラも物流もなくなると思う。

現代の発明家が現代の技術を持って19世紀にタイムスリップしたら、エジソンやフォードに対してどう戦うか?どんなシステムを打ち立てるか?

これはつまり、いま、2021年に、歴史を背負わず既得権益者がこの世にゼロだった場合に、どの手を打つかということだ。

進路として一度でも理系を志したからには、これくらいの挑戦はしたいものである。

「技術の事業化」とは

「技術の事業化」とは

思い起こせば、私のキャリアにおける問題の根源は、

 そもそも私は技術の事業化に関心が高い

この私にとっての大大大大前提が、周囲に共有されていなかったことだと思う。

私も私で、当時は自覚がなかった。理系を志しアカデミアに残らず就職する人間には「技術の事業化を狙う」なんてマインドは当然に初期設定されていると認識しており、ここに疑問を挟むことはもちろん、あえて言語化することもなかった。他人に伝える必要があるなどと考えたこともなかった

しかし、10年以上もキャリアを進めてみると、当たり前でないことがわかってきた。

 

私が考える「技術の事業化」

私の経験上、論が分かれる以前に「技術の事業化って何?」という反応が多かったので、改めて整理してみたい。

まず、私が大学で学んだ方法論はこれだ。

社会課題を解決する手段について
仮説を立て、
ギャップを分析し、
それに必要な事項に優先順位をつけて
研究として実行する。

このフローを自立して本格的に実行するのは博士課程からなので、卒業論文修士論文を書く際には教授・助教授(准教授)が大部分を肩代わりするのだが、こういう意識で実験を実施し、論文を書く。

これに対し、企業(製造業・メーカー・テック系企業etc.)は技術のストックを持っており、それで収入を得る必要がある。これがつまり、技術による事業だ。そして技術の事業化は、大学で学んだ方法論から推察するに、このように進めるものだと考えている。

世の中に社会課題はたくさんある。
その社会課題の中で企業の技術が役に立ちそうなところを探し、
技術を商品またはサービスにし、
量産可能な体制を整え、
供給可能なサプライチェーンを整え、
顧客に認知してもらい、
販売する。
事業が成功すると、社会に商品またはサービスが溢れ、社会課題が解決される。

しかし実際に私が企業研究員としてオーダーされていたのは、決まった狭い範囲の研究をずっと実行することだった。社会課題について考えることも、会社が持つ技術のストックを知ろうとすることも、目の前の責任から逃げる悪しきこととされた。

 

どこからずれるのか

学生の私が思い描いていたことと現実の社会とのギャップに、「既存事業の比率が異様に高い」ことがあった。売上の比率がそうなるのは当たり前としても、私が気になったのは、かけているリソースだった。

ビジネスマンとしては当たり前すぎて今の今まで忘れていたが、大学で学ぶ考え方や研究内容とあまりに乖離がある。学生時代の私は、まさか企業の研究員が、針の穴を通すかのような狭い専門知識を使って、大して代わり映えのしない処方変更を延々と10年レベルで繰り返しているとは想定していなかった。さらに追い打ちをかける事実を告白すると、私が使っていた「狭い専門知識」は大学で学んだものではなかった。企業研究所では、就職後に先輩・上司が指導してくれる内容から見よう見まねで学んだ知識しか使いどころがなかった。その分野とは有機化学(の一部)だったのだが、私は大学入試の有機化学セクションを白紙で提出しており、大学でも大学院でも1単位も取っていない。つまり入社時点では、高校生より専門知識がなかった

もちろん大学で学ぶものは専門知識だけではない。前述の方法論もそうだし、私は高校まで文章を書くのが苦手だったし、ほとんどの高校生がそうであるように、プレゼン資料を作ったこともプレゼンを実施することもなかった。なので、大学に行った意味が全くないとは思わない。

また、優れた企業研究員は、大学で学んだ得意な専門領域で私のような見よう見まね系には思いつかない技術を打ち立てるのだろう。研究機能を持つ企業は、そのような真の企業研究員が真の技術を確立し真に役立つ事業にしていく…ことを前提に人材をプールしているのだろうが、しかし、意識の上でもスキルの上でも、それほどの力を持っている人が多くないことを私は知っている。

 

企業研究者の一般的な前提は何なのか

「技術の事業化」を目指すことが理系の当たり前でないとしたら、大多数の企業研究員の目的や前提は一体なんなのか。理系学部を進学先として選ぶ学生の前提は?企業研究所にいる20代、あるいは将来は企業研究所に勤めると想定している10代を複数人選んで聞いてみると、なんとなく浮かび上がってきた。

安定した食い扶持である。

彼らは研究や技術開発という労働でお金と時間を確保した上で、仕事とは別の自己実現タイムを持とうとしていた

私は30代後半(2020年時点)だが、同世代の一部も実はそうなのだろうと考えると納得がいく。ただし同世代は「仕事に命を賭けないといけない」呪いが10代20代より効いている世代なので、無自覚な人も多い。

ともあれ。

であれば優先度が 新規事業<既存事業 になるのも道理だ。

「安定した食い扶持」という強めな言葉を使ったが、かといって、皆が皆、趣味や副業が生きがいな無気力サラリーマンになるという印象は持たなかった。体感として7割の人は「理系学問や研究が好き」という前提を持っていたのだ。逆にいうと3割はガチで「理系職はコスパがいい」と考えているようだったが、以降はそちらではなく「好き」勢を前提に話す。(コスパ勢も一種の才能を感じるのでいつか考察したい)

「好き」の対象は、魚類に関する生物学だったり、高分子系の材料開発だったりした。ただ、「その『好き』では食っていけない」とか、「その『好き』を企業や研究機関が自分にやらせてくれる可能性は限りなくゼロに近い」という諦めの思考を持っていた。ならば仕方がない、仕事とは別の時間を持とう、というわけだ。

これについて「夢がない」「熱意がない」と思う人はいるだろうか。そうだとしたら、人生が順調なのだと思う。進学・就職・配属・異動・転職を一通り済ませた身としては、極めて現実的な判断だと言わざるを得ない。企業内の研究系の配属では、「東大を出た」や「有名研究室を出た」「論文の出来がいい」程度の努力は全くもって無意味に帰す。いや〇〇分野では東大より九大だから、とかそういう話ではない。どこの有利な大学であろうとそれだけでは尊重してもらえない。出身大学が強い20代をを100人単位で横並びにし、そこから熱意と優秀性ではなく政治的にパズルをキメるのが配属である。熱意より政治が強い。嘘か本当かもわからない新入社員の「ずっと〇〇をやるために頑張ってきました!」よりも、部長の「2年連続〇〇大だからそろそろ違う大学にしてよ」が強い。学問的なこだわりが強い人は、退職して大学に戻ることもある。それくらい合わない研究をさせられることは珍しいことではない。ただ、多くの人は学問的なこだわりよりも収入にこだわりがあり、経済的に今より困窮することが明らかなアカデミックポストに戻る選択はしない。結果的に、前述の私のような「見よう見まね研究者」が生まれる。

複数人にヒアリングしてわかったことだが、生物が好きな人は、仕事外で対象研究の時間を取ることを決めている。私は生物が好きではないので知らなかったが、副業で論文を書く人もいるそうだ。その最終形態が、魚が好きだとか虫が好きだとかが高じてタレント化する学者なのだと思う。彼らはもちろん常人にはない集中力と知識と他人へのプレゼン力を持ってその地位を確立しているわけだが、彼らから学べる最も重要なことは、その千里の道を、小学生のお小遣い程度の元手で始められるということだ。だから小学生にすらフォロワーがいるし、仕事外で研究を続けるというライフスタイルが確立されている。

これに対して化学系は辛いなと感じたのが、素材開発だとか有機合成化学が好きだとかいう人は「では仕事外の時間でやりたかった研究をやろう」にはならないということだ。研究ができる環境を整えるのに何億円かかるかわからないというのが一つの理由だろう。ノーベル化学賞を取った人の軌跡を学べばわかるが、だいたい企業の大金が動いている。しかも総額いくらなのかわからないし、おそらく当の企業も把握していないだろう。ノーベル賞受賞者の小学生の頃の実績は「ファラデーの本を読んだ」だったりする。虫や魚の観察と違って、大人が真似できる「趣味」にはならない。結果として、化学が好きでその道に入ったはずの未来の研究員は、「本当にやりたかったことはなんだろう?」という、難しい人生の問いに入り込んでしまう。好きなことは、虫の観察よろしく〇〇化学だったはずなのだが、それを続けるライフスタイルのモデルがないのだ。

そんな見えない人生の中で、総員「技術の事業化」を目指せというのは酷なのだろう。

 

技術の事業化をどうやるか

しかし彼らには「好き」があるのである。「好き」で進路を選んでいない私には、それは才能に思える。

「好き」とは違うものをやらされて18時間週5日以上の労働時間を適当に過ごしている研究者・技術者は、一体日本に何十万人いるのだろうか?

「技術の事業化」について、当記事前半にこう書いた。

世の中に社会課題はたくさんある。
その社会課題の中で企業の技術が役に立ちそうなところを探し、
技術を事業化する。
つまり、商品またはサービスにし、
量産可能な体制を整え、
供給可能なサプライチェーンを整え、
顧客に認知してもらい、
販売する。
事業が成功すると、社会に商品が溢れ、社会課題が解決される。

世間には、あまりにも後半の話が多すぎる。量産体制だとか、マーケティングだとか、広告だとか。確かに日本企業には、そこが杜撰すぎて誰にも求められていないような商品を作り出して時間と金を無駄にしてきた歴史があるのだろう。だからといって後半を強化しすぎた結果、現在は、浅い技術を使った思いつきの浅い商品が溢れかえっているように思う。さらに経営者が後半に人を投入しようとするので、研究者の生き方はより技術から離れ、諦めはより一層強くなっている。

企業、特に大企業というのはよく出来ていて、要らない仕事がたくさんある。私一人が年度の途中で抜けようと年間○兆円の売上は今年も得られるし、企業たるものそうでなくてはならない。だからこそ前半(社会課題の中で企業の技術が役に立ちそうなところを探す)にリソースを投入する遊び性が持てるのだが、なぜか近年の大企業にはその遊び性がないらしい。その原因は株式会社の逃れ得ぬ特性だとか、欧米を真似しすぎだとか、いろいろあるが、そのあたりの分析は日経ビジネス東洋経済に任せるとして、遊び性を持たせるにはどうしたらいいのか。

科学史や文化史などの長いスパンで歴史を見ると、大体の物事は一方向に流れていて、戻るのは難しいように思う。とすると「元々あった遊び性」が「なくなってしまった」というトレンドが錯覚でないなら、企業に遊び性を戻すのは難しいのではないか。

それでは、企業外で「好き」を追求する場を作るというのはどうだろうか。企業外に生き甲斐を見出すライフスタイルが顕著になってきているので、企業外の時間に「本命=好き」を当てに行くのだ。

 

 

「技術で世界を変える」とは

「技術が世界を変える」とは

私は元リケジョなので、「イノベーション」とか「新規事業」とか「起業」とか言われれば、圧倒的にやばい技術で100年人類を悩ませた社会課題をいとも簡単に解決する、というイメージを持つ。しかし理系村を出て新規事業を生業とする人たちや起業家などと会話するうちに、これが一般的なイメージではないことに気づいた。

定義どおりに言えば、イノベーションとは、イコール技術革新ではない。

その証拠に(?)、GAFAは技術革新にこだわっていない。イノベーターは社会にインパクトを与えてなんぼだ。イノベーション=技術革新という考えは、日本人が陥りがちな誤解だ。だから日本人、特に技術系の人間にはビジネスが作れない。…という意見も見る。経験的にもそうかもしれない。

それでも私は、技術革新型イノベーションによるインパクトはそうでないイノベーションより大きいと考えている。

新型コロナウイルスでどれだけ人の関係性や仕事のやり方が変わろうと、今のところ映画MATRIXの世界に移行する気配はなく、我々は肉体を持ち、食べ、排泄し、睡眠する。身の安全や快適性を求める。今日日ラッキーなことに、人間は(特定の国や、エッセンシャルウォーカーと言われる人以外は)オンラインに入り浸っても食料を得、適度にコントロールされた空調と水周りで清潔さを保つことができ、安全に眠ることができる。

今日の日本人にとって、この「当たり前」は未知のウイルスより、地震や台風で脅かされる。電気や水道の寸断で生活が破壊されることは深刻に報道される。私自身も、もちろんウイルスに感染して発症することへの恐怖心はあるが、インフラ寸断が重なった場合の生活の崩壊の方が怖い。

このようなベーシックな、エッセンシャルな安心・安全・快適は、アプリやSNSでなく、全世界民の生活の裏にびっしり張り付いたような形で提供される。なので、この「びっしり張り付いた」、一部はローテクな技術が革新されないと、真の安心・安全・快適は得られないだろうというのが、私の主張、というか、私が持っている世界観だ。

2018年秋、リチウムイオン二次電池の実用化に貢献した3人の研究者が、ノーベル賞を受賞した。うち1人は日本人。旭化成の吉野彰氏だった。以前から「パリピのアイデアハッカソンリチウム電池は産まれないだろうが!!!」と言っていた私的には、説明がしやすくなって大変ありがたい。ノーベル賞は、浸透しすぎて当たり前になった技術に改めてスポットライトを当てる役割もあるのかもしれない。

リチウム電池について、実用化される前の研究者・技術者の認識はこうだと想像する。

いい電池があればあれもこれも前提条件が変わる。ま、そんなもんがあれば苦労はしないけどね

私が志向する「技術の事業化」とは、「そこらへんにあった技術にキャッチコピーをつけたら思ったより売れた」ということではない。「技術が世界を変える」がセットでないと意味がない。「技術が世界を変える」とは、リチウム電池のように、人類への浸透度が高い課題・目標をクリアすることだ。人類の共通命題を

ただ昨今では、「技術革新型イノベーション」という成果の獲得はかなり難しくなっている。資金があるとか、有名な研究室に所属していたとか、資金があって有名な企業に所属しているとか、それだけでは成功しなくなっている。昔も決してそこまで単純だったわけではないだろうが、1980年ごろなら、日本は世界の先頭集団とか、経済は一流とか、技術力は世界一とか、そういう風に考えていられた分、日本の研究者・技術者は目の前のことに集中できたのではないかと思う。

では、何がかくも、私という元研究者の集中を削いでしまったのか。私の場合は、原因は3つある。

  1. 戦力が正しく出力されていない
  2. 日本のプレゼンスは確かに下がっている
  3. 「技術一流、経営二流」

1.   戦力が正しく出力されていない 
〜28時まで実験する日本人、16時に帰るフランス人〜

2000年ごろ、日本は、応用研究や生産技術では他国に対し優位性があるものの、基礎研究では依然として欧米に負けており、近年では応用研究や生産技術も危うい、とされていた。20年経った今となっては、応用研究や生産技術の優位性すら微妙だろうが、20年前はそんな論調だった。

大学には色々な国からの留学生が来ていた。アジア(中国、インドネシアバングラデシュなど)の留学生は日本の不夜城文化にある程度合わせるのだが、欧州(フランス)の留学生は全く意に介さない。マジで16時に帰る。

私自身も不夜城文化は肌に合わず、16時とは言わないものの18時に帰るような人間だったが、24時でも28時でも嬉々として実験をし続ける日本人の先輩・同級生・後輩はたくさんいた。

日本に留学する学生がどういう層か、と考えると必ずしも単純な比較はできないが、敢えて単純な比較をすると、「16時に帰ってもそこそこの研究開発力を維持できるフランス」と「28時運用でもなお基礎研究は負けている日本」という対比が浮かび上がる。

また、日本人同士で比較しても不思議に思うことがあった。毎年、国際学会でオーラル発表をする修士を輩出できる研究室と、国内学会のポスター発表で終わる研究室があるのだ。同級生として接していると分かるが、学生同士、どの研究室に配属されようがそこまで大きな能力の差はない。とすると、「研究室の教育、マーケティング、戦略のいずれか、あるいは全てが修士の成果を決めている(修士の能力ではなく)」という仮説が導き出せる。

この辺りから、「日本人はものすごく頑張れるという利点があるが、戦略的に推し進める機能がないと、その頑張り、意味ないのでは…?」と考えるようになった。

 

2.   日本のプレゼンスは確かに下がっている
〜入れ替わるエアコンの室外機〜

2004年にスペイン・アンダルシア地方を旅した。アルハンブラ宮殿が有名だが、白い壁の街並みが印象的な地方だ。ヨーロッパは、もう少し北上すると夏でも涼しいため家庭にエアコンが設置されていないのか、熱波で大量の死亡者を出すことがある。しかしこの地方は夏が十分暑いため、各家にエアコンが設置されていたようだ。裏路地を歩くと、室外機が並んでいた。

室外機は、黒く煤けたものと、汚れが少ないものがあった。だいたい、煤けたものは古く、汚れがないものは最近購入したものだと察せられた。

エアコンの室外機には目立つ大きさの企業ロゴが貼り付けられている。煤けたものは「TOSHIBA」や「MITSUBISHI」で、新しいものは「LG」や「Samsung」だった。

要は、昔はみんな日本製品を買っていたのが、新調する家はみんな韓国製品を買っていたのだ。

2004年.日本は白物家電では負けたがテレビやPCでは勝っているとか言っている時代だった。しかしあの室外機の光景は、そういう問題じゃないと感じさせた。そして実際に、2010年までに結果が出てしまった。

 

3.   「技術一流・経営二流」
〜負けに誇りを持ってしまう技術者たち〜

「28時まで無償で実験を続けられる学生」は、就職後、「お金をもらって好きなことをできる研究員」にクラスチェンジする。

決して若い者だけがそう言っているわけではない。管理職・役員も同じ思想だ。一見、好きなことを集中してやれるのは良いことだ。しかし、それがビジネスマンとして大成するとどうなるか。

「うちは〇〇をアメリカより先に開発した。技術は優秀なんだけど、ビジネスでは負けちゃうんだよね」と笑うのだ。

企業はビジネスをする集団である。笑いごとではないのだ。

この手の冗談(?)を飛ばすビジネスマンには「誇り」が感じられる。ひとえにこの「誇り」は、自分たちの仕事(=技術確立)は世界で負けてないが、他人の仕事(=事業化)は他人(文系とか、事業部とか、経営とか)がミスった結果だという意識からくる、と思う。

同じ技術者(研究者・研究開発要員)だった元理系としては、

なに人のせいにしてんだよ。

とか、

研究で終わっていいのは大学の仕事で、企業がビジネスで負けることを誇っちゃダメだろう。

という怒りもあるし、

あの組織構造でビジネスに責任持てというのはあまりにも無茶が過ぎる。

という同情もある。

 

日本流「技術で社会を変える」

エアコンのエピソードは「圧倒的にやばい技術で」「100年単位の社会課題を解決する」ことからは少々離れる。エアコン市場は、おそらくGEかシーメンスあたりが始めたオセロを日本勢が円安の力でひっくり返した(+韓国勢がさらにウォン安でひっくり返した)ものであって、それはイノベーションではなく、事業の成功だ

もちろん、白物家電や自動車の奇跡を今一度!バブルアゲイン!と言っているのではない。なーんだイノベーションじゃないじゃん、とは思わないで欲しい。ここで私が欲しいのは、わかりやすく「日本が勝っている、日本のやり方でやっていける」と信じられる拠り所だ。昭和ノスタルジーに浸るビジネスマンの大半が欲しいのも、ここだろう。

しかし80年代の強みは帰ってこないし、しかも、80年代に日本企業がやったことの大半は私がやりたいイノベーションではなかった。ということなのだと思う。

しかし、夜中まで実験したことを自慢する大学の同級生や、自分の部下は皆お金をもらって好きなことをしていると信じている研究所長を思い出すと、彼らはやはり、他国の研究者・技術者より瞬発力があるように思うのだ。それをどうにか生かすことはできないのだろうか。

 

日本人(日本企業、日本の大企業)の性質のうち、技術革新的イノベーションにおいて絶望的に不利だと思うのは、この3点だ。

・非連続な変化ができない
・巨額の投資ができない
・リスクを取った方針決めができない

一方、日本人(の研究者・技術者)が有利だと思うのは、下記3点になる。

・報酬にこだわらず好きなことをやっている
・研究・技術開発に、高い集中力x長い時間 を投下できる
・しかもそれがたくさんいる

ただ、この有利な3点、これらだけでは大きく空振りする。この性質を持ってすれば次世代の1000億円事業が生まれると期待する経営層を何度か見たことがあるが、技術者の趣味性と集中力だけで1000億円事業が生まれるなら、日本のGDP、あと10倍はいける。

 

私と同世代(2000年代前半に学生だった)かそれ以降の世代は、オセロが負け側にひっくり返される以降しか見ていないので、不利な条件を真っ直ぐ見据えてそこに手を入れたい人が多いと感じる。

しかし今のところそういう課題を扱う職業がなく、次善の答えとして国家公務員、MBA、コンサルあたりを選ぶ人が多い。一部を実際にやってみての感想は、「次善策で遠回りしていたら人生が終わりそう」といったところだ。

「失われた20年」は令和を迎えて「失われた30年」になってしまった。いい加減、社会に新規参入してくる20代に違うフェーズを見せるべきなのではないだろうか。

オープンイノベーションのコミュニケーションロス

私は、イノベーションとかオープンイノベーションとかいったものに関心がある。

一方で、四畳半で暮らしたりコストカットしまくりのガレージに閉じこもるのは好きではない。昨今のオシャレなオフィスが好きだし、そういう空間では柔軟なアイディアが生まれやすいという説も支持している。

しかし、いつも顔を合わせない人が顔を合わせるだけの「場づくり」をすればイノベーションが起こるとふんわり期待するのは、筋が悪いと思う。

つまり私は、イノベーションも、カッコいいオフィスもそこで仕事することも大好きだが、そういう場があればイノベーションが起こるとも思っていない。

 

「場」を乱立させて期待外れも乱立した結果、「オープンイノベーション」は若干流行りが過ぎ去った感もあるが、「他社との連携」に望みを賭ける流れはまだ残っていると思う。

他社との連携。難しい。何しろ企業は無数にある。

 

コミュニケーションの難しさ

話は180度変わるが、一人旅をしていると、たまに暇で陽キャなコミュ強が話しかけてくる。それは海外も国内も変わらない。

北海道でこのように聞かれたことがある。

「どういうルートで来たの?」

おじいさん手前のおじさんだったが、そこは北海道。話し方はチャキチャキしており、方言もなく聞き取りやすかった。会話はこう続いた。

私「そこの国道から・・・」

おじさん「そうじゃなくて、ルート」

私(ルート・・・?)「飛行機で・・・?」

おじさん「そうじゃなくて、」

私(ルート????)「帯広空港からレンタカーで・・・?」

おじさん「そうじゃなくて、パソコンで?」

私(パソコン・・・・?)

 

なんと、おじさんが聞きたかった「ルート」とは、「予約の方法」であった。

私には「ルート」という言葉から「どこの旅行代理店を使ったか」とか「PCを使ったのか、電話か、対面か」というイメージは持てなかった。正直、正解がわかった今でも疑問である。英語で、正しい発音がわからないせいで重要な単語が相手に伝わらないことがあるが、そのシーン並みの苦戦だった。

言語コミュニケーションとは、外国語でなくても、方言の壁がなくても、こんなもんだ。

 

なぜイノベーションと題しておきながらこんな話をしたかというと、技術畑や所属企業が違う者が集まると、似たことが起こるのだ。こんな日常会話でこれだ。「ルート」よろしく、「量産化」「商品化」とか、「研究」「開発」「設計」とか、「技術」「実験」「実証実験」とか、ブレにブレる。

先日「正しいものを正しくつくる」という書籍を読んだら、純度100%ソフトウェア開発の話で度肝を抜かれた。化学畑視点では、「ものを」「つくる」ならもう少しハード開発、素材開発にも言及しているものだと思ったのだ。副題に含まれる「アジャイル開発」から察せねばならなかったのだろうが、「アジャイル開発」の定義だけ見ればソフトウェアに限らないようにも読み取れる。業界が遠いとこういうことが起こる。

さらに、私が前段落で説明のために発した「ハード開発」という言葉も危険だ。私は機械系的な意味合いでのハードウェア開発には縁がない。ただ化学系薬液はソフトウェアではないので、「ものをつくるといえば今どきソフトウェアに決まってる」と考えていそうな相手には、「非ソフトウェア」という意味合いで「やりたいのはハード」と説明することがある。ブレブレである。が、アプリ開発にご執心な人にソフトウェアをやりたいと思われるよりは被害が少ない。

こうやって、ブレにブレが重なる。

 

ちなみに本節冒頭の「陽キャなコミュ強」とは「陽なキャラクターのコミュニケーション強者」の略で、もっと言い換えると、「根が明るいマインドを持ちコミュニケーション力が高い人」という意味である。年齢が近い人に「陽キャ」が通じなかったことがあるので書き添えておく。

 

企業マッチング「実行中」のコミュニケーションギャップ

他社との連携、つまり企業間連携に戻る。企業間連携について、「御社に合った企業をマッチングします」というサービスはいくつか見聞きしたが、マッチング後のサービスはほとんど見たことがない。明言しているのは企業再生系ファームくらいではないだろうか。

マッチング後の課題はマッチング前の課題と同じくらいあるはずだ。経営と若手はやる気だが中間管理職はやる気がないだとか、2社のカルチャーや業務プロセスが違いすぎてどうのこうのだとか、いろいろあり得る。そういう話は、マッキンゼーの7Sあたりを使ってどこかのコンサルティングファームが説明・提案してくれると思うので、割愛する。

mba.globis.ac.jp

ここでは趣向を変えて、「技術的なマッチングが実は行われていない」ことに注目してみたい。仮に大きな問題を乗り越えて、NDAだとか、M&Aだとか、法律的・組織的なマッチングが執り行われたとしても、イノベーションを起こすための大前提、「技術的交流」が行われない可能性がある、ということだ。

原因は、ルートおじさんよろしく、コミュニケーションロスだ。

マッチングした2社の技術分野が異なる場合、技術や研究には3つのギャップがある。

 (1) 常識言語の違い
 (2) 初手の違い
 (3) 誤差の違い 

 そのギャップが具体的にどんな混乱を起こすのか実例を紹介したい。紹介するのは必ずしも企業間連携の現場で起こった問題だけではなく、自社と顧客の間に発生した問題も含む。

ギャップ(1)常識言語の違い

社会人になって一番驚いたやつ。

企業の研究所に属していた私は、実験操作をオペレーターに頼むことがあった。この台詞は、オペレーターの人が「Å」の文字を見て「これはなんですか?」と聞いたことについて、先輩社員が評した言葉だ。もちろん先輩は、その場では親切に説明していた。それくらい親切な人だが、オペレーターが席を外した瞬間にこの台詞をこぼした。悪意ではなく、本当に「日本の成人なのにÅがわからない」ことが信じられなかったのだと思う。私からすれば「nm」も「オングストローム」も忘れるのは当たり前だと思え、先輩は人類に期待しすぎな気がした。

ちなみに、Å(オングストローム)は長さの単位である。nm(ナノメートル)の10分の1で、nmはmmの1,000,000分の1である。普段の生活でnm単位の物事を考えるのでなければ、説明されてもよく分からない、が正直なところだろう。私がオペレーターだったら質問しないと思う。分からなくても作業はできるからだ。 なので質問したオペレーターはむしろ勉強熱心と言える。

技術営業になって一番驚いたやつ。

技術営業として働いていた私は、商材である薬液の機序を顧客に説明する必要があった。機序において重要なのは化合物の構造である。真面目な上司はベンゼン環(化学で出てくる六角形)も駆使して正確な情報を伝えていた。真面目な顧客はそれをノートに書き写していた。ところで私がいた分野では、技術営業が相手にする顧客は機械や電気の畑の人である。おそらく六角形に思い入れがない顧客は、ベンゼン環を四角形に略して書き写していた。

真面目な上司は、それにショックを受けてしまった。

ベンゼン環を四角で書いていた

この世の終わりかのような反応である。

しかしながら。私は当時の顧客の肩を持ちたい。私も「トルク」の定義も忘れていれば、普段どういうシーンで「トルク」を使うのかも知らない。電気回路なんて忘れた単語の例も出せないくらい忘れてるので、化学系でない人ならベンゼン環もそりゃー忘れる(というか覚える気もない)だろうと思う。上司もまた、人類に期待しすぎである。

 

ちなみに私は簡略化が好きで労働とホワイトボードが嫌いだ。同様にノートに板書を書き写すことも嫌いなので、そもそも説明時に六角形を書かない。四角でも書き写した顧客は、本当に真摯で真面目だったと思う。

 

  • 「メカ」「電気」「ソフト」

化学系メーカーからコンサルに移って一番驚いたやつ。「物理」「化学」「生物」並みの学問的常識という勢いで使われる。自動車・重電などのメーカーでは実際に常識であり、コンサル業界のクライアントとしてその分野が強すぎるせいで「メーカーでは常識」扱いになっているのだが、化学系では常識ではない。常識すぎてどこにも書いてないし、メーカー上がりのコンサルつまづきあるあるでもない(ほとんどはこれが常識の分野から転職してくるから)。そのせいで、「電気」と「ソフト」が並列だと気づくのに1年以上かかった。

意味は言葉の通り、機械設計、電気設計、ソフトウェア設計、のように分野を表すようだ。(言葉の通りだが、初めて「メカ」と聞いた時、ふざけてんのかな?と思った。なんで「電気」なのに「機械」じゃないんだよ)

この話、関係のない方はふーん、だろうが、コンサルとしての私を知ってる人はビビると思う。周囲の似た経歴の人を気にかけてみてほしい。実はそこがわかってないかもしれない。

 

ギャップ(2)初手の違い

再現実験。

これを見て意味がわかる人は化学や生物学の素養がある人だと思う。当たり前すぎて、意味を問われたら不安になるレベルであろう。しかし私が知る限り、機械系の人はこの言葉を認識していないか、使いどころがわからない様子だ。

私が「再現実験」が理系の常識ではないことに気づいたのは、機械系の会社向けのプロジェクトについてアドバイスを求められた時だった。

その会社はある装置を作ることに長けており、その装置は使いようによっては殺菌・滅菌の機能を持つことから、殺菌業界(?)に手を伸ばそうとしていた。

私への依頼は、「このような新規事業を検討していて、検討のための基礎実験を終えた。期待した殺菌作用が見られないのだが実験の仕方が悪いのか、殺菌作用がないと結論づけるべきか。実験結果の見方をアドバイスしてくれ」というものだった。

これは結論から言うと、化学系の私から見るとあまりにも常識はずれだったのでどこから説明する必要があるのか分からず、良いアドバイスはできなかった。

担当者は、殺菌作用が期待できる液を作り、買った菌に暴露させていた。液を作ってから暴露させるまでの時間はどれくらいかと聞けば、一晩寝かしたこともあるし、混ぜてすぐ暴露させたこともあるという。頭が痛い。もうこの時点で実験として成り立っていない。

さて、一晩から数十秒まで条件をバラバラにして、しかも記録せずに平気でいる神経はどこからくるのかと思い、そもそも殺菌の機序はどういう仮説なのか?と聞けば、要するにラジカルだという。ラジカルを対象にした実験で、液を手で混ぜて、混ぜた液を菌に暴露させる。その発想が私にはなかった。ラジカルって人間が暮らす大気条件では秒を待たず消えちゃうと思っているのだけど、ここはあまりにも理解できない事態で自分がおかしいのかもしれないと疑っているので、当分野に詳しい方のツッコミがあればぜひお聞きしたい。

 

さてアドバイスの件に戻ると、ここまできてやっと察した。この会社は、論文か特許を参考に実験をしていたのに、そもそも再現実験を行っていなかったのである。

化学や生物学の素養のある人は「意味がわからん」と思うだろう。(常識はずれすぎるから)

素養がない人も「意味がわからん」と思うだろう。(なんの話かわからないから)

 

再現実験とは、御社の優れた薬液なり装置なりを試す前に、「論文・特許に書かれた通りのことをやって、書かれた通りの結果が出るか確認する」実験である。操作のスピードや実験室の温度・湿度、実験器具など、実験結果に思わぬ影響を及ぼす条件はたくさんあるので、御社の優れた製品を試す前に(大事なことなので2回言う)、悪さをしない条件を整えるのだ。これだけで全実験時間の9割を食うことだってあるし、書いてある通りにやっても再現させられず数ヶ月食うことだってある。

私が受けた相談の件、該当の会社は工場に納める装置を作る会社だったから、担当者の専攻はおそらく機械系だったと思う。彼らは三次元的にモノがハマるよう設計をするのが任務だ。「再現実験」がどの分野まで常識なのかわからないが、機械系のその担当者が、細菌を扱う上での常識を備えていないことは想像できた。

私は「再現実験」を誰から教わったか記憶にないくらい「研究」「開発」「実験」における常識と思っていたが、学生時代に講義で学んだのか、あるいは研究室で先輩が毎週のように「再現しない」という報告をしていたからか、とにかく、知らないうちに誰かから教えられていたのだ。

 

化学系の視点として書いたので、機械系の人からすれば反論もあると思う。しかしこれは「こんなバカな話があった」という話ではない。これくらい常識にギャップがあるということが重要なのだ。再現実験はある種の分野にとって常識オブ常識だから、ググってもおそらく出てこない。常識なのに、雇ったコンサルが私に「化学系だから」という雑極まりない依頼をするまで、誰も気づかなかったのだ。私はそのプロジェクトに関係がなかったから、そのコンサルの雑な思いつきと依頼がなければ、最後まで誰も気づかなかったと思う。

 

既存事業が立ち行かなくなり多角化を検討する企業は多い。機械系企業が医療市場の発展に乗っかりたがるように、化学系企業も、センサーだとかIoTだとかで単なる素材サプライヤーの地位から抜け出したがる。ここでは機械系企業の失敗を紹介したが、化学系企業も同じように、機械・電気系での常識をすっ飛ばして1円にもならない実験をしてしまっている可能性は高い。なにしろ、化学実験の初手が再現実験であることは私の常識だが、私は機械設計や電気設計の初手がなんなのか知らないのだ。

 

ギャップ(3)誤差の違い

大学時代、同級生の間で「23割当たり前」というフレーズが流行った。専攻の教授が講義中に言っていたものである。私の専攻は化学工学である。熱力学か、プロセス工学か、そのあたりの学問では、3割の実験誤差は当たり前にあるという意味であった。

誤差が3割か、またはそれ以上あるだろうと思える分野に、生物学がある。細胞がどんな風に増殖したり巨大化するか、完璧な予測はつかない。細胞培養を行う人達は、何日でシャーレ上の細胞が2倍になるかだいたい見当をつけているが、秒単位はおろか、分単位・時間単位でも当てることはできない。もちろん彼らは、温度・湿度・培養液の濃度を注意深く一定に保ち、同じ状態を再現しようとするのだが、シャーレの上の模様は毎回違うものになる。生物学系の研究室では、シャーレ上の細胞の模様を「顔」と呼んだりするらしい。いい感じの「顔」とよくない感じの「顔」があるのだ。アートか。

逆に誤差が小さいのは物理学だ。さらに、理論のみを扱うならば誤差は存在しない。

有機化学は物理学よりは誤差が大きいが、熱力学やプロセス工学よりは誤差が小さい。

という感じで考えた時、ざっくり、学問別の誤差の大きさは以下のようになる。

 

数学<物理学<化学<分子生物学<生物学<医学・生理学<<<<社会学

 

外乱から受ける影響が大きいほど、誤差は大きくなる。社会学に至っては全く同じ条件から生まれた同じ社会を用意できないので、誤差という概念がなくなるのでないだろうか。(※文系の友達が少ないので定かではない)

前述の「初手」のエピソードと同じく、オープンイノベーションで手を組んだ時、この認識がずれていると話が崩れていくのではないかと思う。具体的な問題を見聞きしたことはないが、実験をしたならもう答えはわかってるじゃんと思う「誤差小」部族と、N=1(実験1回)じゃ何も確実なことは言えないだろと思う「誤差大」部族がコラボレーションしたら、妙な噛み合わなさが発揮されることは想像に難くない。

 

で、どうするか

実のところ、「広い技術分野を見てきた私がファシリテーターやりますよ」という手前味噌っぽい話で締めくくるくらいしかオチがない。しかしそれでは芸がないので、もう一段掘り下げておく。

今後圧倒的な技術的革新をもたらす商品は、微小な「分子」から巨大な「ハコ(デバイスとか装置とか建造物)」まで全てが新しいはずだ。しかし今日の技術は複雑になっており、細分化されている。分子の専門家と巨大な建造物を作る専門家の話は噛み合わず、「全てが新しい」モノを生み出すプロセスを制御できない。

噛み合わない議論を収拾つけ、商品化・事業化プロセスを制御していく存在を、新しい職業として成り立たせるべきと考えている。「エバンジェリスト」「ファシリテーター」のようなものだ。

www.hrpro.co.jp

「他分野と話ができる研究者・技術者はいるし、優秀な研究者・技術者はそうあるべき」という反論もあろう。しかしその期待は際限がない。古来より、理系は文系に「営業は多少の技術の話くらいできるべき」と期待し、文系は理系に「研究者も多少の営業くらいこなすべき」と思っている。もちろんそのようなスーパー営業とスーパー研究者のどちらかがいれば助かるが、そんな期待をして待っているようではやたらと営業の声だけがでかい怪しい会社か、やたらオタクっぽい怪しい会社で終わるのが関の山である。エバンジェリストがいなければ、マイクロソフトは小難しいことを言っているオタク会社から脱することができなかったはずなのだ。

ある企業研究員の視点

私は研究者として研究室を持つのでもなければ、技術者として起業するようなネタもない、ごく平凡な理系修士卒である。

高校時代、「発明で世界を変えたい」とか、「ノーベル賞を取りたい」とかをぼんやり夢想して理系を選んだ。しかし大学+大学院の6年間で、研究者として大成するには学問にも技術にも愛がなさすぎると痛感した。大学には「小学生の頃からこの学問が好きでした」みたいな連中がゴロゴロしていたのだ。

とはいえ、その6年を過ぎても、技術が世界を変えるという、技術への信頼はあった。

大学院を卒業した2000年代中盤、「私以外にできない仕事がしたい」と、ある化学メーカーに入社した。「私以外にできない仕事がしたい」とは、「技術で世界を変えたい」だった。

かくして企業研究員となった私だが、結局は「技術で世界を変える」を諦めた。その経緯を書き記したい。

■ まずは配属

入社直後の研修中、人事部は私にこう言った。

「基礎研究所が向いていると思うけど、どう?」

これに対して大学院上がりたての語彙が少ない24歳理系には、「勘弁してください」以外の言葉がなかった。人事面談で出すフレーズではないが、とにかく「違う」と伝えたかった。

改めていま、「勘弁してください」をビジネス会話らしくブレークダウンすると、

  • 私の価値観では基礎研究は大学で成すものなので、企業に入社してまでする意味がない
  • そもそも私は技術の事業化に関心が高い
  • 基礎研究所といえど企業である以上は事業化を目的としているのだが、私は、経営も基礎研究所志望の同期も、そのモチベーションが薄いとみなしている

となる。

今はなんとでも言えるとはいえ、当時はいい言葉が浮かばなかった上、場面は配属に向けた人事面談である。基礎研究所を勧められている状況で「勘弁してください」だけでは軌道修正できない。24歳なりに工夫して、「技術営業もできる仕事がしたいです」と伝えた。

一方、私のような新卒社員に対し、人事部は毎年、100人単位の22歳だの24歳だのを相手にする。言語化スキルが未成熟の若者の発言を無数に浴びればうんざりもするし、発言の真意などいちいち取り合えないのだろう。彼らは「基礎研究所に向いている」と判定したはずの新入社員を、B2B最前線の研究所に配属した。

 

そこでの私の仕事はというと、技術営業というより、顧客(企業)との技術ディスカッションをこなし、適した薬剤を研究し、調剤する、そんな感じである。

おそらく「技術営業」とはなんなのか、人事部はわかっていなかったと思う。顧客と会える研究員、くらいの認識であろう。

かくして、私が社会人として最初に当たった壁は「研究職としての壁」だった。

■ 現実の壁@研究職(1)シナジー」思考停止の実態

人事が決めるのは100人単位の「部門」への配属。次に部門のマネジメントが、数十人単位の「課」への配属を決める。私は前述の通り「技術が世界を変える」と期待していた。そのため、仕事の型が決まっていて物事をコツコツ進めるような課に異様な拒否感を示した。結果として、新規商品を開発する課に配属された。

その課は、M&A(企業買収)した子会社とのシナジーを求められていた。とても新規事業らしい話である。私が最も忌避していたのは、オジサンが「オレの背中を見て学べ」と幅を利かせている状態であったから、若手からベテランまで等しく右往左往するようなその状況に満足していた。

だがこの満足、2週間もたたないうちに打ち砕かれた。

元凶は、「うちの技術が盗まれる」現象である。

M&Aしたのは海外の会社だった。そことうかつに情報交換などしようものなら、弊社の技術が盗まれて悪用されるという発想だ。日本人あるあるである。部長がその考えに取り憑かれており、私が夢想していた「グローバルメンバーと紆余曲折しながら、超絶新しい技術を使いこなし圧倒的にヤバい商品を作り上げる」なんて奇跡は起こりようがなかった。

まずこれが、大学院を出たての私が出会った現実の壁である。言ってることとやってることが違う。大人が構成する社会でそんなことは起きないと思っていたが、社会はそんなことだらけだと知る一歩だった。

余談だが、メーカーを去った後にも何度か、経営層が自社の社員に「シナジー」を期待しているシーンに出くわしている。そのうち一部は、お金や人を投じていた。しかし中間管理職がガチ抵抗して物事を全て止めているこの現象、どれくらい経営に把握されているのだろうか?と不安に思う。私が見たあれも、おそらく経営層への報告では「鋭意シナジー中」と伝えていたと思うのだ。

■ 現実の壁@研究職(2) 事業化プロセスがない

2年目からは新しい薬剤を一人で開発させてもらうことになった。これは一見エース扱いのようだが、内実はそんな華々しい話ではない。私がシナジー問題でモヤモヤしすぎた結果企業内コミュ障に陥ったので、一人で完結できるテーマを与えて様子を見よう、といったところだったと思う。

これが大成功だった。(社内評価基準上では)

しかし。 

しかしである。このまま上手く行っていたらここにこんな記事を投稿していない。

先ほどこう書いた。

これが大成功だった。(社内評価基準上では)

 

 (社内評価基準上では)←

 

重要なのはここである

社内で評価される手順で物事を進めたら事業化できるわけではなかった。  

 

これには困った。事業化は長い道のりだから、すぐできないのはわかる。だが、どうもそういうことではなかった。

評価基準に合わせて物事を進めても事業化に近づかないのだった。

では何か変えなくてはならない。しかしそれが何なのかわからない。わかっている人もいそうにない。どこにも書いていない。預ける背中もない。詰みである。

 

この頃、「諦めるな」「当事者意識が足りない」とよく言われた。

それは「実験をたくさんやれ」「データを取り続けろ」(一生懸命な態度だと尚良い)ということだったりした。しかし私は気が進まなかった。ある時点からずっと、今は性能評価データを取るフェーズではないような気がしていたのだ。商品の企画・根本設計がそもそも間違っている気配がしていた。然りとて何を確認し、誰に何を伝えれば良いのかもわからない。

 

研究所には、この課題感を話せる相手も、話せる雰囲気もなかった。

 

10年以上経ったいま振り返れば、「研究」のプロセスはあったものの、「商品化」「事業化」のプロセスがなかったのだと思う。なので常に、技術の成立性確認で話が止まってしまう(※)。数十年受け継がれる由緒正しき製品群なら事業部や生産技術部門が後始末をしてくれるのだろうが、社内で新興の我が課ではそこが完全に抜け落ちていた。グレーゾーンではなく、完全にブラックゾーンである。

※プロセスのくだりは図などで丁寧に説明したほうがいいように思うが、都合により省く。描くのに1ヶ月かかりそうだから。いつか別の記事にしたい。

■ 現実の壁@研究職(3) 周りが私を扱いかねる

ここまで組織の問題点ばかり書いてきてフェアではないので、「私」という「研究者」「新入社員」「若手社員」がどうだったかも書き記す。

配属直後に新人らしく「何がしたいか」などを書き、提出した。ここでいきなりつまづいた。上司の反応が、

「理系が割を食ってるってどういう意味?」

だったのだ。

というのも、「技術の事業化」を言語化できないでいた新卒の私は、「日本社会は理系が割を喰っているのが課題」と主張していた。ノーベル賞受賞者である中村修二氏の発言を拝借したのである。24歳の私からすると、

「どういう意味isどういう意味?あの有名な中村氏が散々言っているではないか????」

…だったんだけど、これまた語彙力がない若造には答えかねた。語彙力がないなら中村氏の発言を引用すればいいのに、その発想もなかった。結果的に「どういう意味?」は「それ以上タブーに触れるんじゃない」に聞こえてしまった。

以降私は、「世界に貢献したい」など、より主語がでかい方向に走った。これで一層周りを困らせることになった。主語をデカくすると、「アフリカ行って学校作りたいのでは?」という感想を抱かせてしまうのだ。もっとストレートに言えば、「なんでここ(研究所)にいるの?」である。

■ 現実の壁@研究員(4)周囲と照準が違う

中堅の課長クラスが私を扱いかねる中、部長〜役員クラスの人は時に私を目にかけ、自身の仕事観を語ってくれた。何を思ってどういう行動をしてきたか、という経験談は、経験が圧倒的に足りない私にはとても勉強になった。

しかし。

ここでまた、しかし…なのである。それに完全に感銘できればここにこんなことを書かずに、今でも諸先輩方の背中を追いかけていたと思う。

どうしても引っかかる発言が2つあった。

1つ目は、「先輩に勝つという気概が足りない」である。

言語化できていないものの「技術が世界を変える」が照準だった私の目に、「先輩に勝つ」はあまりに狭量に映った。謙って言えば「先輩は世界を変える仲間であって勝負の相手ではない」だし、傲慢に言えば「先輩に負けるなど考えたこともない」である。

2つ目は、「好きなことをやってお金をもらえる」である。

これは理系、その中でも化学系・生物系の研究者に多いと感じる。大学の研究室は無償だが好きなことをさせてもらえ、企業の研究所ではそれを有償でやらせてもらえる!という主張だ。一方で私は、研究・実験を労働と捉えていた。そしてその労働が、好きか嫌いかで言えば嫌いだった。技術を極めるプロセスはどうでもよく、世界を変えるポテンシャルにしか興味がなかった。大学に「学問が好き」「研究が好き」「実験が好き」という人間はたくさんいた。そうした人は学科を慎重に選び、研究室を慎重に選び、順調に論文を産出し、アカデミアのポストを手にしていた。だから、「好き」派の人間が企業にもいるとは、全く想定していなかった。

企業に来る人は皆、「技術を事業にして世界を変えたい」派閥だと思っていたのだ。

 

こうした状況の積み重ねで、わかってきてしまった。上司・同僚は誰も、「技術を事業化して」「世界を変えたい」などと思っていない、ということが。

■ 試行錯誤と異動

3年目(26歳)の私は、転職または異動を考え始めた。

狙いは変わらず「技術の事業化」なのだが、語彙力も貧弱なままである。会社に希望を伝える際、マーケティング」とか「戦略」とかいったバズワードを駆使していた。間違ってはいないのだが、「技術の事業化をやりたい人間」が少数なのに対し「対象は何でもいいからマーケティングか戦略をやりたい人間」は世間に大量にいる。自分でも自分の特殊志向と世間の一般志向の違いがわかっておらず、これが誤解と迷走を相当数引き起こすことになった。

とはいえ、「マーケティング」と名のつく技術営業&製品戦略立案の課と、「戦略」と名のつく営業戦略立案の課に異動ができた。

さっくり書いたが、異動まで2年以上の試行錯誤があった。その間、対処が全くできずに困った質問が2つある。いずれも上司(研究所の課長や部長)から言われたものだ。

まずこれである。

 「マーケティングは技術を10年20年やってからやるものだよ」 

2年目(25歳)の、キャリアの浅い私には返す言葉がなかった。ただし、今なら秒で食い気味に返せる。

その返答とは、

マーケティングを舐めてません?」

である。

 

困った質問の2つ目はこちら。 

「戦略をやれば満足なの?」

これも当時は困ったが、今ならちょっと考えたフリをしたのちにこう返す。

「やらないとわかりません」

 

まあこれらは「そういうことじゃねえ」という意見もあろう。だからお前は企業内コミュ障なんだと言われたら、その通りですとしか言いようがない。私とて30代も後半になると、薄ら笑いで「こいつわかってねーな、痛い目見て成長しろよ」とやり過ごしてしまう中間管理職の気持ちもわかる。というか、99%話が通じそうにもない相手(私)によくツッコむ気になったなと、畏怖の念すら感じる。

しかしこの点においては、互いにマーケティングをやる」「戦略をやる」ことにマジで全くイメージがない状態で話していたのが一番致命的だったように思う。マーケティングと戦略の「定義」ならググれば出てくるんだけどね。

 

ともあれ、誰も幸せになれない面談や議論を経て紆余曲折、晴れて研究職から企画職に移った私だが、ここでも壁はあった。

 

■ 現実の壁@企画職(1)目標を立てない戦略

私は「営業技術」(研究員としてではなく)と「各種戦略立案」を兼任していた。営業技術については割愛する。「各種戦略立案」これが曲者だった。

戦略にも色々あるが、私が手がけたのは

  • 製品A群の製品戦略
  • 営業戦略(日本市場)
  • 製品・営業戦略(製品A群xアジア)

少なくとも多くの人が「戦略をやりたい」で想像する「事業戦略」「経営戦略」ではなかった。製品A群を一つの「事業」と見立てれば製品戦略も事業戦略の一種だが、製品A群は人も設備も雑費も他の製品群と共有していたので、やはり事業戦略とまでは言えないと思う。

私は前述の通り「題材は何でもいいから(経営)戦略をやりたい」派閥ではなかったので、製品戦略が中心のこの座組には納得していた。

しかし。

3つ目のしかしである。

戦略は市場調査やデータ分析ではない。大量のpptを作ることでも、BIツールを駆使してダッシュボードを作ることでもない。そもそも元は軍事用語である。戦略とは、何かの「目標」と「手段」のセットだ。

目標とは、売上や利益の目標値だったりする。それは長期計画、中期計画、年度計画に記されている。つまりよくよく考えると、(主体的に)戦略を立てるとは、組織の長がやることなのだ。少なくともほとんどの日本の企業ではそうなっている。

私はアラサーの若造だった。今をときめくスタートアップならベテランかもしれないが、一般的な日本の大企業においては断然若造だった。

戦略を決めるのは営業課長、マーケティング課の課長、それらを束ねる部長、さらには事業部長。私はこの前提で「戦略」を扱うことになった。まずは目標がなければ始まらない。が、それを決めるのは私ではない。そして、すんなりと妥当な目標設定ができるなら戦略立案担当なんて不要である。

かくして私は、目標の立て方を説明してまわるなど…思い描いていた「戦略をやる」とは程遠い事態にハマっていった。

■ 現実の壁@企画職(2)プロがいるのに一人で何やってるんだろう?

目標問題はあったが、分析自体は楽しかった。分析といっても市場分析なんてカッコいいものではなく、自社のトレンド分析である。私がいた会社に限らず、売上・コスト・利益の5年推移・10年推移などは意外と整理・分析されていない。少し過去データをいじれば、「〇〇製品は我が事業部の主力と思ってたのに利益は全然出てない。どころか、見ようによっては赤字」とか、そんな事態がわんさか発掘された。

私の役目は、それを分かりやすくまとめ、部門の皆に事実を認知してもらい、改善のアクションを起こしてもらうことだった。

そのためには、ただの分析ではなく改善の方向性を示唆しなければならない。しかし新卒以来ずっと企業内コミュ障なのと、アラサーの若造が進言するには踏み込みすぎな内容があったりで、社内で幅を利かせる人にキレられることもあった。もっとシャープな分析や提言で説得するか、または、自力で分析の先に進みたかった。そうして、分析〜戦略立案を専門でやる人が世の中にはたくさんいるはずなのに、方法から手探りで、フェアなレビュアーも協力者もほとんどおらず、1人で遅々たる歩みを刻んでいることに疑問が芽生えてしまった。

分かりやすい分析結果の提示。これができることを社内で評価されていた。しかし私には「技術で世界を変える」マインドが無意識セットされているので、「この会社の中ではよくやっている」では到底満足しようがなかったのだ。「世界を変える」を遅くとも50代に巻き起こさねばと考えると、自らの発言力が増すまでじっくりと10年20年待つことも、選択肢になかった。

(なお古巣の名誉のためしつこく補足しておくと、分析してみたら赤字だった的現象は、割とどこにでもある。私がいた組織が特別おかしいのではない。)

■ 現実の壁@企画職(3)新規事業立ち上げプロジェクト

そして、新規事業立ち上げプロジェクト!

新規事業!立ち上げ!プロジェクト!

これは突然ミュージカル調になってしまうくらい、今振り返ればマジで非常にいいチャンスだった。だからこそ、これが致命的な退職トリガーになった。

コンサルティング会社を呼んで新しい事業を企画しようというプロジェクトだった。

この件はどこまで書いていいのか判断がつかない。そのためほとんど割愛するが、シーズオリエンテッドとニーズオリエンテッドの双方から攻め、現実的な交点を作ろうとしていた。と思う。が、肝心のプレイヤー(化学メーカー側の参加者)が、自分の安全ポジションからまんじりとも動きたがらない。プレイヤーの一人である私も技術そのものに思い入れがないので、役割期待である「ニーズ動向や技術動向を聞いて、当てはまる技術を思いつく」が全くできない。

限界だ、と思った。

私は、この会社では、「技術の事業化」について何もできない。

私がいたのは、当時(2014年)も今(2020年)も、経営変革・多角化大成功で有名な会社である。古い事業、古い技術に固執しないランキングでも作れば10位以内に入るだろう。その会社でこれでは、他社に転職しても同じだと考えた。

■結論としての転職

壁に当たり試行錯誤しまた壁に当たった結果、私はメーカー社員の立場から降りることにした。メーカーで「技術で世界を変える」は無理だと判断したのだ。 

内容でお気付きの方もいると思うが、私の直近のキャリアはコンサルである。前述の、「分析〜戦略立案のプロがいるのに1人で何やってるんだろう…」から、プロ集団に身を置くことにしたのだ。

時折「メーカーに戻って自分でやりたくならない?」と聞かれるが、それは全くない。

メーカーの研究職。技術営業。営業。戦略立案。

少なくとも私のマインドとスキルレベルでは、あれは「自分で(事業を)やる」になっていなかったし、いま戻ってもその点は変わらないと思う。

 

 しかし、「技術で世界を変える」は諦めていない。

一体どうすれば良いのかは、次回以降に書きたい。